ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Edith Wharton の “The Age of Innocence”(1)

 きのう、Edith Wharton(1862 - 1937)の "The Age of Innocence"(1920)を読了。周知のとおり、本書は1921年、第4回ピューリツァー賞の受賞作で(Wharton は女性として初受賞)、1924年サイレント映画化。1993年にはマーティン・スコセッシ監督によってリメイクされ、日本でも同年、『エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事』との邦題で公開されている。さっそくレビューを書いておこう。

[☆☆☆☆] よろず基準や規範は、たとえそれが個人を束縛するものであっても、ある程度あったほうがいい。制限なき自由から放縦へといたる道は近い。むしろ制約されることで自由との矛盾葛藤が生じ、葛藤が人間を純粋な存在へと高める。本書は、そうした過程をへて生まれた純愛を描いてあますところのない秀作である。十九世紀末、ニューヨークの上流社会。令嬢メイと婚約中の青年弁護士ニューランドは、ヨーロッパから帰国した幼なじみでメイのいとこ、伯爵夫人のエレンと再会。離婚を望むエレンと、結婚をひかえたニューランドは熱い恋に落ちる。自由恋愛が日常の現代なら、ふたりは一も二もなく結びつくところだが、当時の社交界はもちろんそれを許さない。その社会規範は形式的で皮相浅薄な倫理観にもとづくもので、また三十年後の後日談がしめすとおり、時代とともに変化する一過性のものにすぎない。これを風刺したのが本書であるが、焦点はやはりニューランドとエレンの恋。夢を追い束縛を逃れようとするニューランドにたいし、エレンは現実に立脚、葛藤と懊悩のなかで高貴な純潔を保つ。そんなふたりが紳士淑女の列席するパーティ会場へとむかうシーンは哀切きわまりない。「高貴な純潔」は、三十年ならぬ百年後の今日でも、強くひとの胸をうつのである。