ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Per Petterson の "Out Stealing Horses" と Peter Pouncey の "Rules for Old Men Waiting"

 今年のブッカー賞の有力候補作、"Darkmans" の作者 Nicola Barker は経歴を見ると、2000年に "Wide Open" という作品で International IMPAC Dublin Literary Award を受賞している。それが手元にないので、代わりに今年の受賞作の "Out Stealing Horses" を読んでみた。Per Petterson というノルウェーの作家の作品で、Independent Foreign Fiction Prize の06年度受賞作でもある。 

Out Stealing Horses

Out Stealing Horses

[☆☆☆★★★] 初冬のノルウェーの森。一人暮らしの老人が五十年以上も昔、少年時代の夏を回想する。この魅力的な設定にふさわしい静かな感動を呼ぶ物語だ。行間に感情が凝縮されたかのような文章からつむぎ出されるのは、まず現在の孤独。老人はなぜ家族との連絡を絶ち、こんな森の奥で住みはじめたのか。少しずつ明らかにされる経緯を読んでいると、その心境に共感できるものが多く、身につまされる思いでいっぱいになった。やがて老人の胸に去来する夏の思い出。親しかった友人との冒険と別れ、ほのかな恋心といったエピソードはイニシエイション物の定番だが、予想だにしなかった父の秘密の開示とその後の「裏切り」は、家族全員の運命を変え、主人公の人生を決定することとなっただけに、鈍い痛みのような悲しさを感じさせる。馬に乗って父と二人で出かけた旅の話など、読了後に思い返すと哀切きわまりない。それを澄み切った筆致で淡々と綴っているのが見事だし、静かな冬と激動の夏のコントラストも鮮やかだ。過去から姿を現わす男や、突然訪ねてくる娘の描き方もうまい。英訳版ということで英語は読みやすい。

 …例によってアマゾンに投稿(その後、削除)したレビューだが、これはなかなか拾い物でよかった。賞の発表時に主催者が、こんな小説や作家は「受賞しなければ耳にすることがなかったかもしれない」というコメントを発表しているが、http://www.impacdublinaward.ie/2007/Winner.htm まさにその通りだと思う。ぼくも今まで全く知らなかった。
 今年の国際IMPACダブリン文学賞は、05年に発表された英語の小説と、01年から05年までの間に初めて英訳された小説が対象で、ロングリストを眺めると、John Banville の "The Sea" や Geraldine Brooks の "March", Louise Erdrich の "The Painted Drum" など、ぼくが4つ星以上をつけた作品もいくつか入っている。本書がそうした秀作を圧倒しているかどうかは疑問だが、バンヴィルやブルックスは他に賞を取ったのだから、主催者の言うように宣伝効果を考えた選考があってもいい。レコード・アカデミー賞でも、何度かそんな講評を読んだことがある。
 で、肝心の本書だが、これは主人公の住んでいる一軒家から湖が見えるし、雪の降るなか、湖畔にたたずんで父親のことを考えたりする場面もあるので、広義の意味で「レイクサイド・サーガ」に含めたい。(いい加減な定義だ)。男は最初の妻と離婚し、長年連れ添った再婚相手が三年前に交通事故で死亡、ついの住みかと定めた森の中の家で犬と暮らしはじめる。孤独な生活の模様はいかにもリアルで、ぼくも老後はそうなるのかなと他人事ではなかった。このあたり、Peter Pouncey の "Rules for Old Men Waiting" を思い出させるものがある。

Rules for Old Men Waiting: A Novel

Rules for Old Men Waiting: A Novel

[☆☆☆★★] 美しい出だしにまず惚れこんだ。人里離れた池の畔の古い別荘と、長年連れ添った夫婦。こんな魅力的な設定で先を読まなかったら、小説好きとは言えないだろう。主題はかなり重い。死期の迫った孤独な人間が、残り少ない人生をどう生きるか。よくあるパターンとしては、ヒーリング系の物語やロマンスに発展するところだが、作者は劇中劇の手法を採用している。妻に先立たれ、残った夫も不治の病をかかえて体力の衰えを痛感。そこで自分を律しようと生活規則を作り、日課として短編小説を書きはじめる。その短編と実生活が交互に紹介されるのだ。実生活といっても、亡き妻との出会いや夫婦生活の危機などをふりかえった回想が中心で、胸を打つ場面もいくつかあるが、歴史学者である主人公が専門を活かして綴る、第一次大戦中の戦地での事件を描いた短編のほうが面白い。秀逸なのは、主人公が死について考えるとき、自分の創作した人物なら死に臨んでどう思うかと内省していること。そして両者とも、死の瞬間まで誇りを失うまいとしていること。本書の最大の魅力はその点にある。『ウォールデン』を思わせる美しい舞台だけに、もっと自然描写をからめた現在進行形の物語が欲しかったが、主人公の体調を考えると無理な注文かもしれない。英語は準一級くらいで読みやすい。

 …ペテルソンの作品に話を戻すと、五十年前のイニシエイション篇はまあ定石通りだ。親しい友人と馬を盗みに出かけ、その友人が思いがけない事件を起こして失踪、乳搾りの娘を見て欲情し、年上の女に憧れ、やがて信頼していた父の意外な側面を発見、その父がなんと…よくある話だが、ぼくは夏休みに少年がいろんな体験をする物語が大好きなので、あまりケチはつけたくない。友人の弟との再会や娘の突然の訪問など、現在の生活で起きる事件もよく書けているし、北欧ならではの自然描写も見事。つまり、ここにはパウンシーの作品で覚えたような不満な点がない。受賞をきっかけに「埋もれた」秀作に出会えたことが何よりの喜びだ。