ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Orhan Pamuk の “My Name Is Red”(2)

 何度か(2)を書こうと思いつつ、きょうまでズレこんでしまった。泣く子も嗤うような〈恥ずかしながら未読シリーズ〉だからだ。どんな感想を述べても、何かの記事の二番煎じでしょう。
 ということで、まず周辺情報から。本書は国際IMPACダブリン文学賞受賞作だが、この賞は日本の読者には馴染みが薄いかもしれない。ぼくも2007年の受賞作、Per Petterson の "Out Stealing Horses"(☆☆☆★★★)を読むまで知らなかった。
bingokid.hatenablog.com
 たしかその当時、同賞は世に隠れた名作にスポットを当てるもの、という趣旨の記事を読んだ憶えがある。調べてみると、たまたま前年、2006年にノーベル文学賞を受賞した Orhan Pamuk も、2003年には "My Name Is Red" でこの賞を受賞しているではないか。これはバカにできないぞ、と思ったものだ。
 以来、本書は長らく宿題になってしまった。なにしろ、見ただけでヤル気をそがれるような分厚い本だからだ。しかし老後の生活に入り、いま読まなければ一生読まないだろうと思って取りかかった。
 面白い。とても面白かった。それなのに評価は☆☆☆☆。★をひとつオマケしてもよかったのだけれど、結局ためらってしまった(追記:その後熟慮の末、オマケしました)。16世紀末の設定だが、たとえば欧州諸国との戦争の結果、オスマン帝国の支配が衰えはじめた17世紀末のほうが、文化と伝統の問題という(ぼくの考える)本書のテーマにもっとふさわしかったのでは、と思う。
 犯人が連続殺人におよんだ動機に必然性があることは、「饒舌なまでに緻密」な描写から、よくわかる。しかし、わかればわかるほど、それならいっそ「帝国が存亡の危機に瀕した時代」のほうがいいのでは、という気がした。その必然性にかかわるのが「文化と伝統の問題」ではないでしょうか。
 けれども、そのあたり、ネタを割るわけには行かない。代わりに、夏目漱石の『現代日本の開化』から引用しておこう。「西洋人と交際をする以上、日本本位ではどうしても旨く行きません。交際しなくても宜いと云へば夫迄であるが、情けないかな交際しなければ居られないのが日本の現状でありませう。而して強いものと交際すれば、どうしても己を棄てゝ先方の習慣に従はなければならなくなる」。
 このくだりを頭に置いてレビューを書きました。
(写真は、愛媛県宇和島市・旧社会保険病院。亡父の2番目の入院先。いまは別組織によって経営されているようだが、地元の人は相変わらず「社保」と呼んでいる)