ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

M. J. Hyland の "Carry Me Down"

Carry Me Down

Carry Me Down

[☆☆☆★★] 06年度ブッカー賞の最終候補に残った作家は新人が多かったが、ハイランドもその一人。本書は彼女の第二作ということだが、みずみずしい感性の持ち主であり、将来、さらに飛躍を遂げそうな気がする。主人公は思春期前の多感な少年。自ら嘘をつき、良心の呵責を覚える一方、他人の嘘、あるいは嘘と思える言辞に人一倍敏感で、嘘発見の天才を自認している。ここでは基本的に日常茶飯事しか起こらないのだが、大人の何気ない言動の裏に潜む、額面とは異なる意味に対して、子供がいかに繊細、時には傲慢な反応を示すものであるか。本書はそれを改めて思い知らせてくれる。そして何より少年が敏感なのは、両親の危うい関係、二人の間で微妙に揺れ動く愛情の変化だ。そう、子供にとって最大の関心事は、自分の親が愛し合っているかどうかということなのだ。この当然の事実をさりげなく描いて静かな感動を生みだすところに本書の美点がある。一方、これは子供時代の思い出が詰まった作品でもある。薄汚い感じの友人がいて、不良たちは恐ろしく、転校してきた女の子がまぶしく見え、信じていた友人に裏切られて悲しくなり…そんな本書のエピソードを読んでいると、そういえば自分も、と昔を振り返らずにはいられない。その懐かしい思い出が、同時に、とても切ないものに思えてくる。少年の一人称で綴られているだけに英語は簡単だ。たぶん高校生でも読めるのではないか。

 …去年、他の版で書いたレビューだが、劇的な展開という点では、明らかに Mary Lawson の "The Other Side of the Bridge" のほうが上回っている。何より二重の青春小説という構成が見事だし、念入りに造型された登場人物の間に緊張関係があり、何か悲劇が起こるに違いないのだが、それがどんな結果を生じるか分からないもどかしさとサスペンス、事件の加速度が一気に増す終幕の迫力は特筆に値する。にもかかわらず、上のレビューを読みかえすと、僅差ながら "Carry Me Down" のほうがより純度の高い小説であるように思えるのだ。
 もちろん上述のように、この "Carry Me Down" で起こる事件は日常の些事がほとんどだけに、現象的には "The Other Side of the Bridge" と同じく、「他の小説や映画で読んだり観たりした内容とも言える」。けれどもその扱い方は、決して昔ながらの標準的な平面にはとどまっていない。水面を破り、人間心理の奥底にひそむ真実を多少なりとも描こうとする姿勢がハイランドにはある。それは決して大げさな真実ではない。「大人の何気ない言動の裏に潜む、額面とは異なる意味に対して、子供がいかに繊細、時には傲慢な反応を示すものであるか」ということ、そして「子供にとって最大の関心事は、自分の親が愛し合っているかどうかということなのだ」。
 そういう姿勢がメアリー・ローソンには欠けているとは思わない。それどころか、少年の心理の丹念な描写はまさしく誠実な作家の証である。ただ、現代版カインとアベルの物語を中心に、親子や夫婦、男女、友人同士といった人物関係が古典的な型通りのものに終始し、展開が非常にダイナミックなわりには、それに見合っただけの深みがない。読後のしみじみとした余韻は充分なのだが、何かしら人間に関する真実を思い知らされるほどではない。'It's very interesting, but not so deep.' と選考委員が発言したかどうかは知らないが、"The Other Side of the Bridge" が秀作なのにショートリストから洩れた理由は、どうもその辺にあるような気がする。