ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Mary Lawson の "The Other Side of the Bridge"

 去年のブッカー賞のロングリストに選ばれた Mary Lawson の "The Other Side of the Bridge" を読んでみたら、しばし胃炎の痛みを忘れるほど面白かったが、ショートリストから外れた理由も何となく分かり、その意味でも興味深かった。

The Other Side of the Bridge

The Other Side of the Bridge

[☆☆☆★★] 無類に面白い現代版カインとアベルの物語。青春小説、さらには上質のメロドラマでもあり、とにかく夢中で読んでしまった。舞台はカナダ北部、湖畔の田舎町。二つの物語が長い年月を隔てて交互に進行し、やがてそれが一つに交わる構成で、最初は三つの点に興味をそそられる。まず、すべての面で対照的な兄弟がいつ、どんな形で悲劇を起こすか。次に、年上の女にあこがれる少年がその女とどうなるか。そして二つの物語がどう結びつくか。以上の輪郭はつかめるのだが、後半の展開と結末は読めなかった。流れを二重構造にしたメリットは大きい。一方では、兄弟の確執を中心に、子供が親に覚える愛情と反感、戦死や負傷した友人への複雑な思い。また一方、親の離婚や友人、ガールフレンドとの関係で揺れ動く感情、進路への迷いなど、とにかく終始一貫、緊張感あふれる心理が提示され、かつ起伏に富んでいる。物語が一つに交わってから次第にサスペンスが高まり、一気に沸点へと達する後半は息もつかせぬ展開だ。英語はせいぜい準一級程度で読みやすい。

 …これだけ褒めておきながら評価を星3つ半にした理由はいくつかあるが、その最たるものは本書の「古典性」である。早い話が、兄弟の愛憎というテーマ自体、それこそカインとアベルの時代に発する使い古されたものだけに、よほど斬新なアプローチがない限り、満点をつけることはできない。むろん、メアリー・ローソンの用いた手法は非常に巧妙だ。成人した兄アーサーの妻にあこがれる少年イアンを登場させ、アーサーとイアンの少年時代を交互に描くことで、二重の青春小説ができあがっている。これがどれだけ物語を変化に富んだものにしているかは言うまでもない。が、にもかかわらず、アーサーと弟ジェイクの関係自体は「古典的」なのである。
 アーサーは父親のあとを継いで農夫になることが既定路線の地味で実直な落第生。一方、ジェイクは母親の愛を一身に浴びた才気煥発、外向的で無鉄砲な美少年。つまり、二人の亀裂の原因は性格の相違にある。その亀裂が広がり、アーサーの不注意でジェイクが橋から川に落ちて瀕死の重傷を負ったのち、アーサーは罪の意識をもつ。『橋の向こう側』というタイトルにもつながるこの設定は、兄弟の確執に陰影を生じている点で秀逸である。しかし繰り返すが、根本的には性格の不一致が対立をもたらし、しかも、その対立が同じ女をめぐる争いによって激化するとあっては、これはやはり典型的なメロドラマと言わざるをえない。
 ぼくはメロドラマを大歓迎する者だし、上に書いた理由で、本書はたしかによくできたメロドラマである。先週読んだ Silas House の "A Parchment of Leaves" と似たような兄弟関係だが、かなり図式的なサイラス・ハウスの人物造型より、ローソンの技法、描写は非常に洗練されている。が、兄弟でこそないがやはり近親者の争いを描いたメロドラマでも、人間の情念の本質に迫った『嵐が丘』のような例があることを思うと、ローソンの処理の仕方も実は定石通りということになる。
 そういう目で本書における他のエピソードをながめると、すべてが定番の話なのだ。年上の女へのあこがれ、母親の出奔で受けたショック、ガールフレンドとの微妙なやりとり…どれも面白いが、どれも他の小説や映画で読んだり観たりした内容とも言える。思春期の少年のあれこれ迷う心をじっくり書きこんでいるのはいいが、盛りだくさんで焦点がややぼけてしまっているのも否めない。
 ざっと以上のような点が引っかかって星を1つ減らしたのだが、昨年のブッカー賞選考委員も同じ判断だったかどうかは分からない。とにかく面白いことは無類に面白いのだが、要は突っこみの甘さが災いしたのかもしれない。では、同じく少年が主人公の物語でショートリストに選ばれた M. J. Hyland の"Carry Me Down" の場合はどうだったのだろうか。(続く)