ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Carmen Laforet の "Nada"

 仏独伊露とつづいた「文学の冬」シリーズもいよいよ大詰めで、年明けに最後に読んだのがスペインのカルメン・ラフォレーだ。

[☆☆☆☆] 文学を学ぶため、田舎からバルセロナに出てきた多感な娘の青春を描いた作品だが、どうしてもスペイン内戦の影を読みとらざるを得ない。といっても、政治的な要素はみじんもないし、戦災の描写も数えるほど。傷はむしろ、人々の心の中にある。まず、娘が住みはじめた祖母の家では口論が絶えず、同居している親戚は誰もがエキセントリック。それは錯乱や狂気の世界と言ってもいいほどで、激しい対立の遠因は戦争中の出来事にあることが会話を通じてさりげなく示される。一方、楽しいはずの学生生活も疎外感や閉塞感に満ちており、悲哀と苦悩を感じさせる。恋愛は実らず、友情は空回り。親友が娘の家族と関わることで起きた悲劇のあと、バルセロナを去る娘は、自由への明るい希望を抱くと同時に虚無の影も帯びている。それは直接的には青春の影だが、その背景に内戦があることを思うと、読了直後より、しばらく間をおいてふりかえったとき、心に重くのしかかってくる作品である。英語は読みやすく、いい意味での翻訳らしさも楽しめる。

 …スペイン文学となると、ぼくにはもうまるで未知の世界だが、何年か前に出会ったスペイン人が英米文学の西訳を手がけている人だったので、スペインで好きな作家は誰かと尋ねたところ、ガルシア=マルケスの名前を挙げたのにはびっくりした。そういえば本書の序文を書いているのもバルガス=リョサだし、文学に関するかぎり、本国より旧植民地のほうが優勢なのかもしれない。ぼくも今までスペイン語の英訳はラテアメ文学しか読んだことがなかった。
 カルメン・ラフォレーはスペイン語学習者の間ではかなり有名な作家らしく、"Nada (Nothing)" はその代表作ということだが、これも例によって読了後にネットで仕入れた知識であり、「新しい」作家を読めば読むほど自分の無知さ加減がつくづくいやになる。学生時代にもっとまじめに文学を勉強しておけばよかった。
 ぼくは先日、文学に余計な予備知識は要らないと書いたばかりだが、ここでは少なくとも、書中に出てくる戦争がスペイン内戦のことだと知っておいたほうがいい。感情の起伏の激しい奇矯な人物が登場する「錯乱と狂気の世界」、鬱屈した主人公の「疎外感や閉塞感」、これらはやはり、内戦と重ね合わせて考えたときにその意味がわかるものだ。
 といっても、本書はもちろん政治小説ではない。地の文で戦争に関する記述はほとんどなく、街に残った焼け跡の描写がちらほらある程度。頻繁に発生する激しい口論にしても、その理由が直接説明されることはないので、それを内戦と結びつけるものとしては、当事者とは別人同士の会話の中で示される戦争中の人物関係しかない。幼いころは仲のよかった兄弟が戦争を契機に対立するようになった、という話などが典型例である。
 こういう間接的な背景説明は本書の特徴であり、後半、娘の親友が娘の伯父と一種の恋愛遊戯にふけり、伯父の心をもてあそぶという一件にしても、親友の母親が娘に語った戦争中の関係に由来する。つまり、現在のさまざまな感情のもつれを産みだした背景はすべて内戦時代にあり、その文脈が会話を通じて少しずつ明らかにされるのである。
 戦争文学では、こうした「間接話法」のほうが直接的な主義主張よりも人の心を打つことが多いのではないか。少なくとも、どこかの国の反戦文学より大きな感動をもたらすことだけは間違いない。スペイン内戦の話にかぎっても、『誰がために鐘は鳴る』や『カタロニア讃歌』が傑作であることは疑う余地がないが、この "Nada" が読後一週間たった今、ぼくの胸の中で次第にその二作に近い重みを増していることも事実なのだ。
 ちなみに、本書を読みながら思いうかべた映画が二つある。ビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』と『エル・スール』で、いずれもスペイン内戦を「間接話法」で描いた心にしみる傑作だ。読んでから観るか、観てから読むか、とにかく "Nada" とあわせて鑑賞したい作品である。

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