ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

William Boyd の "Restless"

 いま珍しくミステリを読んでいるのだが、年度初めで多忙を極め、思うように進まない。去年の1月だったかに読んだ "Restless" のレビューでお茶を濁しておこう。

Restless

Restless

[☆☆☆★★] 『アイスクリーム戦争』で有名な著者の最新作はスパイ小説。ミステリ専門ではない作家が第二次大戦のスパイ物という使い古された題材を扱うからには、よほど斬新な切り口があるに違いない、と大いに期待して読みはじめた。事実、大戦初期にイギリス情報部がアメリカの参戦を促す工作を行っていたという話題は、ひょっとしたらスパイ小説史上初めてかもしれない。元女スパイが娘に書きつづる回顧録という体裁だが、敵地での活動ではないので今ひとつ緊迫感に欠けると思っていたら、突然、『針の眼』を思わせる強烈な場面が出現。以後、文字どおり虚々実々の駆け引き、偽装工作の連続で、このジャンルの醍醐味が充分に堪能できる作品に仕上がっている。それに較べ、女スパイの娘をめぐる事件、人物関係のほうは少々問題あり。たしかに起伏があって面白いのだが、本筋とは関係のない添え物という印象をぬぐいきれない。回顧録の中の過去と、それを綴る元スパイの現在が一つに交わる展開は定石ながら、いかにも大団円という感じでかなり迫力がある。それだけに、現在進行形の恐怖がもっと欲しかった。全貌が明らかになってみれば、本書のテーマは題名どおり不安、人間不信ということだが、これは昔からスパイ小説の定番。何が「斬新な切り口」かと言いたくなるが、それでも夢中になって読み耽ったのだから、佳作であることは間違いない。英語は難易度の高い表現もけっこうあるが、全体としては標準的なものだろう。

 …06年度のコスタ賞長編賞の受賞作。最優秀作品賞は Stef Penny の "The Tenderness of Wolves" にさらわれてしまったが、http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20080118/p1 どちらもミステリとミステリ以外の境界線上にあるような作品である点が面白い。本書など、もし作者がル・カレだったら、とうの昔に「娯楽小説」として翻訳が出ているはずだ。その意味では、「純文学作家」ウィリアム・ボイドは日本では損をしていることになる。
 もっとも、本書がいまだに未訳なのはボイド自身にも責任がある。ぼくはもともとスパイ小説が大好きだったので面白く読めたが、「何が『斬新な切り口』かと言いたくなる」ことも事実だからだ。この素材なら、グレアム・グリーンやル・カレのほうがもっとうまく料理していただろうと思うし、そもそも、人間不信というテーマをいまどきスパイ小説の形で訴える意味がわからない。それに較べ、たとえばル・カレの『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』などは非常に優れた作品だったのだな、と昔を思い出してしまった。