順番が狂ってしまった。"Days without End" の話にもどろう。
すっかり忘れていたが、08年度のコスタ賞大賞を受賞した Sebastian Barry の旧作 "The Secret Scripture" は、同年のブッカー賞最終候補作でもあった。怪しい記憶をたどると、たしか先にブッカー賞のほうに選ばれ、あとでコスタ賞を獲ったのではなかったかしらん。
こんどはその逆で、"Days without End" はまず16年度のコスタ賞を受賞。ってことは下馬評どおり、ほんとうに今年のブッカー賞ロングリストにノミネートされるかもしれない。Sebastian Barry は、05年の "A Long Long Way"(未読)も最終候補作に選ばれた実力者である。3度目の正直を期待している現地ファンも多いようだ。
ぼくも少なくとも、同じくアメリカの負の歴史を扱った、Colson Whitehead の "The Underground Railroad" よりは断然いいと思っている。同書のレビューの後半を引用しよう。「現実と幻想のはざまに敷かれた地下鉄道は、隷属から自由へいたる道として、国家の存立基盤、国民のアイデンティティを再確認させるものと想像する。さほどに奴隷制は、人種差別はアメリカ人の心の宿痾ということだろうが、ひるがえって、ここには再確認こそあっても新発見はない。メルヴィルやフォークナーなど、アメリカの最高の知性が産み出してきた伝統文化に加えるものはほとんど何もない。人間を単純に善玉と悪玉に分けるのではなく、知的に誠実であること。このメルヴィルの原点に立ち返ってこそ、もはや語り尽くされた感のあるテーマでも真に新しい物語を作れるのではないか、と愚考する次第である」。
この拙文を頼りにふりかえると、同書では「人間を単純に善玉と悪玉に分ける」傾向が強かったように思う。差別される側の黒人はおおむね善玉で、差別する側の白人はもちろん悪玉という図式である。
けれども、この "Days without End" には、そういう単純な図式はいっさい認められない。インディアンも白人もともに善玉であり、かつ悪玉として描かれている。つまり、双方の行動や心理において、「人間の善良さと残虐さが等しく浮き彫りにされ」ているのである。これは "The Underground Railroad" との決定的な差だと思う。
(写真は、宇和島市神田川原(じんでんがわら)にほど近い妙典寺前界隈。昔から閑静な住宅街で、元貧乏長屋から遠征するたびに別世界のような気がした)