ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Moby-Dick" と「闇の力」(4)

 エイハブはたしかに「狂的なまでに自分の理想を追求し」、あげくの果てに、乗組員ともども海の藻屑となってしまう。だが、その「破滅」は決して文字どおりの破滅ではない。なぜなら、メルヴィルはエイハブを単なる狂人としては描かなかったからだ。彼に惨めな死に方をさせなかったからだ。それどころか、「おれの至上の偉大さは、おれの至上の悲しみにある」というエイハブの最期の言葉が示すように、彼を偉大な人間として死に導いている。
 なるほど理想主義の追求は、凄まじい流血の惨をもたらす。人が正義を、自由を、平等を、平和を、何であれ正しいと信じる価値を守ろうとするとき、そこには必ずおびただしい血が流れる。昨今のテロ攻撃、反テロ戦争を見てもそれは明らかだ。平和を守るときでさえしかり。「平和」という美名のもとに、実際は殺し合いが起きているのが現実である。
 だが一方、もし人間が理想を捨てればどうなるか。そこには不正義が、隷属が、不平等が、戦争が、何であれ誤りだと信じる現実が残るだけだろう。メルヴィルがそう考えていたことは想像に難くない。ミルトン・スターンによれば、メルヴィルの作品には、理想を忘れ、「豚となった人間」が登場するという。詳細は省くが、この指摘は正しい。
 つまりメルヴィルは、エイハブの「破滅」において、理想主義の追求がいかに危険なものであるかを訴えつつ、彼を偉大な人間として「破滅」させることにより、理想主義の剣を折ることだけはしなかったのだ。それはたしかに両刃の剣である。しかし剣を折ってしまえば人は「豚」になる。エイハブは「豚」とは対極にいる人物である。
 ジョージ・スタイナーによれば、悲劇とは、ソポクレスやシェイクスピアの例に見られるように、王侯貴族をはじめとする偉大な人間の破滅を描いた作品であるという。この意味において、"Moby-Dick" はギリシア悲劇シェイクスピア悲劇の高みへと登りつめている。「おれの最高の偉大さは、おれの最高の悲しみにある」とは、まさに古典的な悲劇の台詞なのである。(続く)