ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Moby-Dick" と「闇の力」(5)

 エイハブはとにかく偉大な人間だった。その偉大さは、カリスマ性は、直接的にはもちろん、白鯨と対決することから生まれたものである。人間の力をはるかに上回る相手と戦うことにより、人間そのものの水準が引き上げられたのだ。この点、映画『白鯨』のグレゴリー・ペックは、残念ながらエイハブほどの身の丈には達していない。映画としては力作だと思うけれど、ペックのお粗末な演技も災いして、カリスマ的な迫力が伝わってこない。

 そもそもエイハブの偉大さは、単に巨大な鯨と戦うだけでなく、彼がその鯨を「根元的な悪の存在」と見なし、鯨を仕留めることで悪の根絶をめざすという猛烈な理想主義に発している。エイハブはいわば神たらんとしたのだ。そういう精神的な偉大さを表現できそうな俳優といえば、名優ローレンス・オリヴィエくらいのものだろうか。
 ともあれ、エイハブは海の藻屑と消えさった。しかしながら、昨日も書いたように、その破滅は必ずしも「破滅」ではない。パスカルは、「人間は天使でも獣でもない。そして不幸なことに、天使のまねをしようと思うと、獣になってしまう」と述べた。この箴言はじつに正しく、とりわけ近現代には、○○主義を標榜して正義の使徒たらんとした結果、恐ろしい独裁者となった例が数多くある。
 だが、「神たらんとした」エイハブは、たしかに一見狂人と化し、乗組員を巻き添えにして死んでいったものの、断じて「獣」にはなっていない。その悲劇は近現代史の縮図であるものの、エイハブをヒトラースターリンと同列に扱うことはできない。エイハブは、「おれの至上の偉大さは、おれの至上の悲しみにある」と叫ぶことにより、まさしく理想主義の栄光と悲惨を一身に担う存在となったのである。(続く)