ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Moby-Dick" と「闇の力」(了)

 たしかにイシュメールは生き残った。これは楽観的かつ強引に解釈すれば、「恐ろしい悲劇から人間が立ち上がる可能性を意味している」。だが、白鯨のほうはどうか。あの巨大な鯨もピークォド号同様、海の藻屑と消えさったのか。今回、本稿を書く前に八木敏雄訳で最終部分を読み返してみたが、鯨が息絶えたことを示すような記述はついに発見できなかった。
 つまり、エイハブが根元的な悪の象徴と見なす存在は、少なくとも消滅したとは言い切れないのである。それゆえ、同じく強引に、ただし悲観的に解釈すれば、これは恐ろしい悲劇が今後も繰り返される可能性を示唆している。事実、小説の世界を離れて近現代史をふりかえれば、革命や戦争など流血の惨はあとを絶たない。人間は昔からずっと、「いつか来た道」を歩み続けているのだ。
 なぜか。人間が真善美を忘れられないからだ。人は真実を、正義や善なるものを、そして美を愛する。それは「人間が人間であるがゆえに持っている美点」である。だが、その美点が同時に欠点ともなる。ふたたびベルジャーエフの言葉を引用しよう。
 われわれが悪を滅ぼそうとすればするほど、かえって新しい悪が生じてくる。…われわれが悪を根絶しようと夢中になると他人に対して寛容な心を失い、冷酷となり、悪意をいだき、熱狂主義者となり、容易に暴力に訴えるようになる。善人も「悪人」と戦ううちに「悪人」になる。
 自分の理想に忠実なあまり、その理想を絶対的な正義として祭り上げ、その正義に反する者を悪人として断罪する。これはいわゆる平和主義者にさえ見受けられる現象である。軍国主義を憎むあまり、平和主義者がいつのまにか好戦的になってしまうのだ。
 ともあれ、「美点が同時に欠点ともなる」という人間の矛盾、光と闇、理想主義の栄光と悲惨を描いた作品として、"Moby-Dick " は超弩級の名作である。何やら陳腐な結論になってしまったが、これをもって一連の駄文を終了することにしよう。(第1回は、08年10月29日 http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20081029