ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Moby-Dick" と「闇の力」(11)

 結局、エイハブは偉大な英雄だったのか、それとも、極悪非道の悪人だったのか。「理性の狂気」という「闇の力」に突き動かされ、絶対的な正義を追求した結果、現実の世界に置き換えれば虐殺をもたらしたという意味では後者である。だが、海の藻屑と消えさる前、「おれの至上の偉大さは、おれの至上の悲しみにある」と叫ぶエイハブは悲劇の英雄である。
 この点、同じく観念による殺人を扱った作品でも、"Moby Dick" はドストエフスキーの諸作とは大きく異なっている。ラスコーリニコフ、イワン・カラマーゾフ、そしてスタヴローギンやピョートル・ヴェルホーヴェンスキーたちは、決してエイハブほどの身の丈を与えられていない。彼らの破滅は(復活の機会を与えられる者はいても)、文字どおりの破滅なのだ。
 だが、エイハブが惨めな最期を遂げず、むしろ偉大な人間として滅んでいった以上、その死は必ずしも破滅とは言い切れない。エイハブは猛烈な理想主義の衝動によって偏執狂、さらには悪魔的な人物と化すものの、その生き方に読者が反感を覚えるような書き方は認められない。それどころか、その死は感動すら与えるものだ。前にも述べたように、メルヴィルは、理想主義が恐ろしい剣であることを示しながらも、その剣を折ることだけはしなかったのだ。
 このように考えると、「理想主義の栄光と悲惨を一身に担う存在となった」エイハブは、「偉大な英雄」であり、かつまた「極悪非道の悪人」でもある。また、彼が求めた悪の根絶というヴィジョンは、崇高な理想であり、同時にまた、人間を狂わせる恐ろしい「闇の力」でもある。
 ここでイシュメールに登場してもらおう。ぼくは今回 "Moby-Dick" について一連の駄文を書きはじめたとき、その「基礎知識」として、エイハブに関するもの以外に次の3点も挙げた。
  5.ただ一人生き残った乗員イシュメールは、白鯨の白さにいろいろな意味を見いだしている。
  6.イシュメールは、人間の魂を揺さぶるような力を白鯨に認めている。
  7.イシュメールにとって、白鯨の白さは「虚無」の象徴である。
 この3点と、上述のような、エイハブとその理想主義の持つ二面性を重ねあわせたとき、ぼくには白い鯨の象徴するものが見えてくるような気がするのだ。(続く)