ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Tatiana de Rosnay の "Sarah's Key"(3) 

 この本には、ほかにもまだ小説としてよく工夫されている点がある。たとえば、60年前の少女の物語と現代の物語とで、はっきり文体を使い分けていることだ。一見無関係なふたつのストーリーが並行して進み、やがてひとつに交わるというのは定石だが、少女のほうは主人公に合わせて平易な言葉で書かれ、しかも、過去の事件なのでドキュメンタリー・タッチ。現代のほうは、事件を調査する女性記者が主人公ということで語彙の難易度がやや高くなり、ふつうの小説らしい文体。こんな工夫を凝らす作家はそう多くはいない。
 また、ひとつの物語になったあと、歴史小説から家庭小説へと次第に傾斜していく点も見逃せない。たしかにフランス人がユダヤ人をアウシュヴィッツへ送りこんだというのはショッキングな話かもしれないが、その意外な史実を明らかにするだけなら何も小説形式でなくてもよい。しかし、それを後世の人間がどう受けとめるかという問題になると、理屈だけでは割り切れない要素もある。それを本書では、女性記者と、少女の孫がぶつかる家庭問題という形でフォローしている。
 ただ、これは現代のナチス物、ホロコースト物としては、決して斬新なアプローチとは言えないかもしれない。ユダヤ人の悲劇を伝える作品が小説に限ってもかなりの数に上る現在、史実をうまく料理し、後世の人間の問題にいたるまで読みごたえのある物語に仕立てることは、そこにどんな工夫が見られようと、むしろ当たり前のことだからだ。
 ぼくが今まで接したこの種の小説をふりかえると、Bernhard Schlink の "The Reader", Isaac Bashevis Singer の "Enemies, A Love Story", Norman Mailer の "The Castle in the Forest", Gunter Grass の "Crabwalk", そして Jenna Blum の "Those Who Save Us" など、いずれも必ず、史実のみに寄りかからない工夫が認められる。中にはノーマン・メイラーのように、とんでもない勘違いをしている作家もいるが、あとはどれも深い感動を呼ぶものだった。
 感動の大きさという点では、本書も遜色はない。ぼくも読んだ直後は目頭が熱くなった。が、冷静になって考えてみると、傑出した出来ばえとまでは言えない。長くなったので、その理由はまた後日。