ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

David Mitchell の “The Thousand Autumns of Jacob de Zoet”(1)

 今年のブッカー賞の有力候補作、David Mitchell の "The Thousand Autumns of Jacob de Zoet" をやっと読みおえた。さっそくレビューを書いておこう。

[☆☆☆☆★] いささか度を超した細部描写、ダイグレッションの連続かと思える筆運び、快調になってからも整合性を疑わせる展開と、いくらでも重箱の隅をつつけそうな本書だが、そうした欠点らしきものを補って余りある美点がある。おのれの信念を貫きとおす人間のみごとさ、自己犠牲の美しさに理屈ぬきに感動をおぼえるからだ。それは現代人への警鐘でさえあるかもしれない。現代は価値基準が曖昧で混沌とするなか、立身出世や私利私欲に走る一方、美辞麗句をならべてニセの処方箋を売りつける手合いさえいる時代である。そう考えると、本書の舞台は江戸時代の長崎出島だが、これは現代の世相を反映させながら、現代人が忘れてしまった生きかたを巧みに小説化した作品ともいえるのではないか。この観点から冒頭で指摘した「欠点」をふりかえると、じつはそれが必ずしも欠点とはいえず、ミッチェルが計算しつくした文体や構成、展開、あるいは人物造形であったことに気がつく。たしかに冗長で退屈なくだりはある。が、それなくしては単純な話になってしまう。悠々たるペースに我慢してつきあっていると、中盤あたりから、つぎつぎと畳みかけるような物語の迫力にノックアウト。息づまるようなサスペンスに満ちた冒険小説、現代のカルト教団を思わせる一派を描いた伝奇小説、すさまじい砲撃シーンが圧巻の戦争小説である。そしてなにより、信念をつらぬき、他人のために尽くす人間の姿に感動する。その信念における日本人と西洋人の相違にまで踏みこんであれば申しぶんなかったのだが、ともあれ、洋の東西を問わず自己犠牲とは美しいものであり、作者はその点に的を絞ることで本書全体に整合性をもたらしている。序盤の疑問は杞憂に過ぎなかったのである。