ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

W. G. Sebald の “Vertigo” (1)

 昨日の夕方、W. G. Sebald の "Vertigo" を読了。晩酌にワインをボトル半分飲んだあと、酔ったいきおいでレビューを書きはじめたが、夜の11時ごろ、わけがわからなくなり中断した。一夜明けてなんとか書きおえた次第である。

Vertigo

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[☆☆☆☆] 読めば読むほど、タイトルどおり、めまいがしてきそうな小説だ。そのめまいとは、おそらく人間存在の本質から発するものだろう。孤独、疎外、絶望、喪失、悲哀、苦悩、虚無、不条理。そういう現実に直面した人間がおぼえるめまいである。こう書くといかにも感傷的に聞こえるが、じつのところ、ここには感傷はほとんど認められない。スタンダールの失恋と片思いを淡々と綴った第一章からしてそうだ。以後、話は現代に飛び、バイエルン生まれの男がひたすら旅をつづける。旅先で出会った人びとの描写は詳細をきわめるが、その出会いから物語が生まれることはない。希薄な現実の象徴である。美しい静かな風景がこまかく描かれ、いわば沈黙が打ち寄せるうちに、男はやがてめまいをおぼえる。記憶が飛ぶ。自分の居場所がわからなくなる。時代がさかのぼり、神経症を病んだカフカの療養生活を綴った第三章でも希薄な現実が示され、夢幻的な心象風景から作家の不安が浮かびあがる。最後にふたたびバイエルンの男が登場し、ひさしぶりに故郷の村を訪れたあと、いまの居住地ロンドンへと帰着。回想につぐ回想だが、ここでもノスタルジックな感傷はない。やはり人物や風景の克明な描写がつづくものの、現在とのつながりはいっさいなく、夢と幻想のうちに幕を閉じる。こうした旅行記と回想はいずれも希薄な現実を物語っているが、細部への異常なまでの執着ゆえに、それは現実への強いこだわりを示すものでもある。しかしその現実が希薄であることには変わりなく、そこから絶望が、絶望からめまいが生まれる。まさに現代人の精神状況を象徴した作品といえよう。