Vintage 版短編集の正式なタイトルは、"Death in Venice and Seven Other Stories"。書棚の奥から、もはや入手困難らしい新潮社版トーマス・マン全集を取り出し、第8巻に収録されている短編を数えてみたころ、ぜんぶで32編。そのうち4分の1がこの英訳版ということになる。
と思ったら、最後の "Felix Krull" が上の全集版にはない。それにこのタイトル、前回も紹介した長編 "Confessions of Felix Krull" とよく似ている。そこで2作を拾い読みした結果、訳者が異なるせいか表現に多少の違いはあるものの、短編のほうは長編の Book One に相当することがわかった。短編を発表したとき (1911年) から Thomas Mann は頭の片隅で、いつかそのうち長編を、と思っていたのかもしれない。実際に長編が刊行されたのは1954年。しかし未完に終わっている。
そのかんの事情について調べてもいいのだが、それはきっとドイツ文学の先生が研究済みにちがいない。そこでまず、ぼくもいつかそのうち最後まで読まなくては、と思っていた巻頭の表題作に取りかかった。
が、最初はまったく記憶になかった。春、第一次大戦の暗雲が垂れこめかけたミュンヘン (後注:雑感4参照)。作家とおぼしき主人公 Gustave Aschenbach が仕事に疲れ、散歩に出かけたとき、ふとある男を見かけたのがきっかけで旅情に誘われる。うまい書き出しだ。
さらに読み進むうちにようやく、あ、ここだ、という箇所に出くわした。高校時代、たしか新潮文庫版で挫折したくだりである。当時のぼくには難解すぎて、いくら読み返してもピンと来なかったのだ。
じつは今回、英訳で読んでいても、ぼくの貧弱な英語力ではすぐには理解できなかった。じっくり取り組んでみて、たぶんこうだろうなと思ったのは、要するに Aschenbach が作家としての名声を博するに至ったプロセスである。そこに彼の芸術論や、小説作法、作品傾向、関心のあるテーマなどが盛り込まれているのだ。
内容だけでなく、というより難解な内容に即して、文体的にも非常に複雑な文が連続し、明らかにその前後とは異なる書き方である。少し紹介しておこう。'Within that world of Aschenbach's creation were exhibited many phases of this theme: there was the aristocratic self-command that is eaten out within and for as long as it can conceals its biologic decline from the eyes of the world; the sere and ugly outside, hiding the embers of smouldering fire ― and having power to fan them to so pure a flame as to challenge supremacy in the domain of beauty itself; the pallid languors of the flesh, contrasted with the fiery ardours of the spirit within, which can fling a whole proud people down at the foot of the Cross, at the feet of its own sheer self-abnegation; the gracious bearing preserved in the stern, stark service of form; the unreal, precarious existence of the born intrigant with its swiftly enervating alternation of schemes and desires ― all these human fates and many more of their like one read in Aschenbach's pages, and reading them might doubt the existence of any other kind of heroism than the heroism born of weakness.' (p.11)
ふっ。めちゃくちゃ長いセンテンスだ。途中でやめようかと思ったが、なかばヤケになって最後まで書き写した。さらに、ミスタイプがないか何度もチェックしたが、まだ不安。(intrigant は正しい表記です)。
邦訳はどうなっているのだろうと思い、全集版をひらいてみると、たぶん新潮文庫と同じ高橋義孝訳だが、同じ箇所にたどり着く以前に早くも頭が混乱しそうになった。たとえば、英訳では 'Gustave Aschenbach was born at L ―, a country town in the province of Silesia.' (p.8) という簡単な文で始まるところが、高橋訳では、「プロイセンのフリードリヒ大王の生涯を明晰で力強く描き上げた散文詩の作者、ある理念の陰に多くの人間の運命を集めた……」といった具合に、英訳のもっと先のほうから始まっている。いわゆる訳し上げというやつだろう。
で、上の英訳引用部分はこんな書き出しになっていた。「この散文世界を覗き込む者は、そこに見るだろう、内部の空洞と生物学的衰弱を最後の瞬間まで世人の目から隠しおおせようとする高雅な自制を。」
いやはや、これでは高校時代にぼくが挫折したのも無理ないな、と妙に納得してしまった。
(写真は、愛媛県松野町、妙楽寺の境内にある和霊神社。祀られているのはたぶん、上意討ちにあった宇和島藩家老、山家清兵衛。屋根にしゃちほこがあるのが特色)。