ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Anita Brookner の “A Start in Life”(2)

 英文学ファンなら先刻承知のことだが、本書(1981)は米版タイトル "The Debut" どおり Anita Brookner のデビュー作。彼女はこれで作家としての「人生のスタート」を切ったわけである。
 そんな昔の本を今ごろ読みたくなったのは、ひとつには、アメリカ人作家が2年連続でブッカー賞を受賞。「来年こそ英文学の『復活』を望みたいところである」とコメントしたものの、はて、英文学とは一体どういうものだったんだっけ、と気になったからだ。
 べつにほかの作家でもよかったのだが、Anita Brookner なら鬼籍にこそ入っているものの、間違いなく英文学の伝統を継承していた現代作家のひとりである。あ、いや、たしかそんな記憶がある。
 定年も迫ってきたことだし、老後からと言わず、このへんでひとつ文学の勉強をやり直そう、と思い立ったのが2つめの理由だ。といっても、「やり直す」というのは不正確で、若い頃も指導教授に叱られてばかり。昔からサボりっぱなしだったのだけれど。
 さて、本書を読みはじめてまず気がついたのは、英文学、というより純文学一般の特色だろうが、登場人物のキャラクターづくりが緻密であることだ。Her [Ruth's] appearance and character were exactly half-way between the nineteenth and twentieth centuries; she was scrupulous, passionate, thoughtful, and given to self-analysis, but her colleagues thought her merely scrupulous, noting her neatness with approval, and assuming that her absent and slightly haggard expressions denoted a tricky passage in Balzac.(p.8)
 このようなくだりに接すると、ああ、いかにも英文学の作品だなと体験的に思う。人物の特徴を詳細にわたって分析的にえがく手法である。
 それは端役についても当てはまる。The taxi which arrived after three-quarters of an hour was driven by a man with severe back pain and a delinquent son. Both were preying on his mind.(p.163)
 こんなふうにタクシーの運転手を紹介する小説は、少なくとも日本文学ではとんと記憶にない。いや、アメリカ文学でもほとんど憶えがない。これから気をつけて読むことにしよう。
 ともあれ、ここで注目すべきなのは、上の描写が意味のない digression ではないという点である。この直後、運転手と主役たちがすったもんだしたあげく、ある重大な事件が起こるからだ。
 つまり、この人物にしてこの事件あり。それは「人物のキャラクターがもたらす当然の帰結であり」、ヒロインの Ruth は「人間が人間であるがゆえの事件に巻き込まれ、かくして人生が、文学が始まったのである」。
 こういう展開こそ伝統的な英文学の特色のひとつだと思うのだけれど、これを検証するためには相当な勉強が必要である。いやはや、大きな老後の目標ができましたね。
(写真は、前回アップした写真の撮影場所、宇和島市妙典寺の裏を、住宅街をはさんだ反対側の里山から撮ったもの。なんの変哲もない風景だが、子供の頃ここで遊びまわったぼくには、たまらなく懐かしい)。