ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Omar El Akkad の “What Strange Paradise”(2)

 Elizabeth Taylor(1912 - 1975)の "Angel"(1957)を読んでいる。と聞いて、え、あの大女優が小説も書いていたのか、と驚くひとも多いかもしれないが、じつはこの Elizabeth Taylor、れっきとしたイギリスの女流作家。
 ぼくも昔は知らなかった。いつだったか、ブッカー賞関連のリストをチェックしていたら、1971年の最終候補作 "Mrs Palfrey at the Claremont"(未読)の作者が Elizabeth Taylor とありビックリしたものだ。さいわい、日本版の Wiki では「エリザベス・テイラー(注:映画女優とは別人物)」としるされている。"Angel" の巻頭に肖像写真が載っているのも、ムリからぬ勘ちがいを防ぐためではないかしらん。
 それでもちょっと興味がわき、いろいろ検索した結果、どうやら "In a Summer Season"(1961)がイケそうだとわかり、読んでみると実際、評判どおりの佳篇だった(☆☆☆★★)。

 その後、小林信彦氏の『小説世界のロビンソン』を購入したところ、"Angel" が「1945年以降に英語で書かれた小説ベスト13」(1983)に選ばれているのを発見。それがどれほど権威のあるリストなのか怪しいのは小林氏も指摘しているとおりで、三人の選者とも、ほかの文学関係の記事で名前を見かけたことはいちどもない。

 とはいえ、やはり気になる。気になったが長らく積ん読。が、このほどふと思い立ち、やおら書棚から取りだした。とてもおもしろい。上の "In a Summer Season" 同様、「英文学の伝統をひっそりと、しかしみごとに受け継いだ佳篇」である。まだ序盤だが、そう断定していい。
「ひっそりと」というのは、上のとおり大女優のせいで作者がワリを食っているからだが、たとえば、さりげない室内の情景描写など、じつにうまい。たかが家具調度と、あなどるなかれ。人物以外のディテールがしっかり描けていれば、人物についてはなおさらだ。ぼくは英文学の伝統のひとつは家具類の説明にあると思っている。
 閑話休題。表題作を読んでいていちばんおもしろかったのは、シリア難民の少年 Amir がギリシャのリゾート地、Kos 島に漂着し、島の少女 Vänna に助けられながら、不法入国者を取り締まる兵士たちから逃れようとするところ。なんだか海賊の一味と対決するジム・ホーキンズ少年の冒険みたいで懐かしかった。ただ、追っ手の頭目 Kethros 大佐がジョン・シルヴァーくらい怖い存在でなかったのが残念。

 レビューにも書いたが、最後は What Strange Ending。これを読み解くには、まず開幕シーンにもどり、ついで巻頭の題辞、Ambrose Bierce と J.M.Barrie("Peter Pan" の作者)のことばを吟味するといちおう参考になるだろう。ここで引用してもいいのだけど、ぼくにはことさら吟味するまでもないと思えるのでカット。
 その理由はこうだ。「難破した漁船の同乗者も、戦火や飢餓の絶えない中東の国々から西洋へ脱出しようとした人びとで、いわば楽園幻想にとり憑かれている。ところが現実の西洋はもちろん楽園ではない。その平和と繁栄も虚飾にしかすぎない。それは『なんと奇妙な楽園』か。このテーマに即せば、あいまいな結末も必然のなりゆきといえよう」。
 あえてイヤミないいかたをすれば、平凡な結論を隠すための「あいまいな結末」ではなかろうか。妙に文学的な作品より、『宝島』タイプの冒険小説をもっともっと読みたかったです。

(下の写真は、ドイツの画家ゲルハルト・リヒターの『ルディ叔父さん』。先々週、ジブリパークへの旅行のさい、ついでに豊田市美術館を訪れたところ、たまたまゲルハルト・リヒター展がひらかれていた。帰宅して調べると、リヒターは「現在、世界で最も注目を浴びる重要な芸術家のひとり」とのこと。恥ずかしながら、まったく知らなかった。館内で鑑賞中もよくわからなかったが、この『ルディ叔父さん』はとても印象にのこっている。昨年、東京国立近代美術館でもよおされた展覧会の説明によると、「60年代に描かれた油彩の写真バージョン」で、「リヒターは油彩画の筆跡を見せないようにあえてソフトフォーカスにしています。つまり絵画を忠実に複製するための写真ではなく、あえてピントをずらすことで、もともとのオリジナル写真に近づいているともいえます」)