ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Michael Redhill の “Bellevue Square”(1)

 きのう晩酌前に、2017年のギラー賞(Scotiabank Giller Prize)受賞作、Michael Redhill の "Bellevue Square" を読了。日本の読者にはなじみが薄いかもしれないが、カナダでは最も権威のある文学賞である。ひと晩寝かせたところでレビューを書いておこう。

Bellevue Square

Bellevue Square

[☆☆★★★] 現実とは何か。自分はどんな存在か。人間がしばしば実存の意味を問うようになったのは近代、それも「神の死」以来のことかもしれない。この前提から文学史をひもとくと、実存の問いはカフカの幻想に始まり、その答えのひとつがガルシア・マルケスマジックリアリズムであるとも言えよう。そういう先人たちの偉大な業績とくらべたとき、本書はいかにも分がわるい。トロント古書店を営む女主人ジーンが自分とそっくりの女性の存在を知らされ探索開始。やがて実際に姿を見かけるが、情報源の人々は不審な死を遂げる。序盤はミステリアスな展開で大いにけっこう。あれは幻視なのか実在の人物なのか、自分は正気なのか否か、という疑問から生まれるサスペンスも上々。が後半、分身との接触を通じてその存在がジーンの現実に侵入しはじめたあたりから興がさめる。なんと相手も自分のドッペルゲンガーとしてジーンを意識していたというのだ。それならこれは、現実と非現実の融合ではなく、現実と現実の対決、つまりふつうの人間関係ということになる。要は双子同士の話にすぎない。ジーン自身は現実を疑い、「存在の裂け目」におちいったと確信。作者の意図もどうやらその点にありそうだが、哲学的であるはずのメッセージに説得力がない。ジーンの人生にくらべ、「分身の人生」は明らかに書き込み不足。そのため、上の不審死をはじめ、不思議な事件があってもすべて現実のことなのだと強弁しているにすぎない。現実が不可解なのはしごく当然であり、「存在の裂け目」なんぞ持ち出すまでもない。そもそも、単なる双子同士の話をこんなゴースト・ストーリーに仕立てる必然性があったのか。作者は実存の問いをもてあそんでいるのではないか、とさえ疑いたくなる凡作である。