ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Sarah Bernstein の “Study for Obedience”(1)

 またしても途切れ途切れの読書だった。昨日、Sarah Bernstein の "Study for Obedience"(2023)をやっと読了。Sarah Bernstein(1987 - )はカナダ出身の作家で、現在はスコットランド在住。デビュー作は "The Coming Bad Days”(2021 未読)。本書は彼女の第二作で、今年のブッカー賞最終候補作である。さっそくレビューを書いておこう。(後記:その後本書は2023年度ギラー賞を受賞しました)

Study for Obedience: Shortlisted for the Booker Prize 2023 (English Edition)

[☆☆☆★★]「この世に純粋な個人というものはなく」、ひとは「自我の深層部においては集団的たることを免れえない」。このように集団的自我と個人的自我を峻別し前者の優位を説いたのはロレンスである。たしかに生まれる自由をもたぬ人間は、生まれた瞬間から両親や家族、民族ないし国家という全体に帰属している。人間には自由がなく、好むと好まざるとにかかわらず、人間は全体への帰属を意識したときにのみ自由たりうる。本書はこの帰属意識のうち、家族と民族を対象としたものである。幼いころからすこぶる従順なユダヤ系の若い女が長兄の求めに応じ、祖先の住んでいた遠い北国に移住、妻子と離別したばかりの兄の世話をすることに。彼女はまた農場で献身的に農作業に従事するが、この奉仕は評価されず、かえって「過去の奴隷」たる地域住民の反感を買う。「ひとはみな、それぞれの重力に完全に従順だが、これはまったく人間的であると同時に、きわめて野蛮な忌まわしい行為でもある」と女は述懐。おそらく反ユダヤ感情を指しているものと思われるが、現地のことばが話せない彼女は自分を見つめ、「問題の一部はわたしのなかにある」、「わたしたちはだれひとり罪を免れることはできない」ともいう。こうした思索の流れは知的誠実の証しであり傑作の誕生を予感させたが、残念ながら期待はずれ。多感で繊細な女の関心や観察は人間関係にとどまらず、自然の変化や「土地のリズム」など多方面にむかい、饒舌気味の詳細な描写がつづいて退屈。上の集団的自我と個人的自我の緊張関係や、自由と全体への帰属意識といった肝腎の問題はついに深掘りされることがない。傑作になりそこねた佳篇である。