ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Suzette Mayr の “The Sleeping Car Porter”(2)

 J.G. Farrell の "The Siege of Krishnapur"(1973)を読んでいる。ご存じ73年のブッカー賞受賞作で、"Troubles"(1970 ☆☆☆☆★)につづく Empire Trilogy の第二作だ。
 ぼくにしては順調に進んでいるのだけど、メモを取るのでやはり遅読。メモがないと、人物・ストーリーその他、すぐに忘れてしまう。あとでレビューをでっち上げるためにもメモは必要だ。引用するときに、あれ何ページだっけ、とあちこち読みかえさなくて済む。
 でもほんとうは、メモを取らず、レビューも意識せずに読むほうがいい。ずっと気楽だし、のちのち、自然と心にのこっていることも多い。とりわけ、クイクイ読めた本ほどよくおぼえている。
 それとは逆に、あとでレビューを読みかえしても、なかなか思い出せない本がある。このところ、6年ほど前の拙文をボチボチ加筆修正しているのだけど、どれもこれも記憶があやふやで四苦八苦。昔のインチキをさらにゴマかしているようなものだ。
 3週間ほど前に読んだ表題作はどうか。これはまだ、だいじょうぶ。ひとつふたつ、目新しい(と思える)点があるからだ。
 列車や船、飛行機などの旅を綴ったトラヴェローグといえば、ふつうは乗客が主人公。中学生のとき、古本屋で創元推理文庫版を立ち読みした『オリエント急行の殺人』がいい例で、のちに観たシドニー・ルメット監督作品(1974)も、とてもおもしろかった。ローレン・バコールイングリッド・バーグマンが共演するなんてまるで夢のようだ。もっとも、『三つ数えろ』(1946)と『カサブランカ』(1942)当時の彼女たちなら、ぜったい不可能な組み合わせだったかも。

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 ところが、この "The Sleeping Car Porter" では寝台車の客室係が主人公。そんな作品は文学史上はじめてではないかもしれないが、少なくともぼくは初読。ふと思い出したのは、車掌が犯人のあの有名なミステリくらい。でもあれも主人公は名探偵のほうだった。
 その car porter が歯科医志望という設定もうまい。登場人物の歯ならびや歯の衛生状態を克明に描いた小説なんて、もうまちがいなく史上初だろう。目のつけどころならぬ、「歯のつけどころ」がいい。(追記:その後、Valeria Luiselli の "The Story of My Teeth"(2013 ☆☆☆★)に、マリリン・モンローの歯を競売にかける話が出てくるのを思い出しました)。

 ただ残念なのはそのあと。旅先でいろいろな事件が起きるのは定石だが、それが人種差別やゲイの話題とからんでいる。時代は1929年、客室係の Baxter は黒人とあって差別問題が出てくるのは自然の成りゆきだけど、なかなか新しい視点や表現法にはお目にかからないトピックスだ。もはやなにを読んでも想定内に思えがちで、本書も例外ではない。
 ゲイの件にしても同様で、多様性の許容とかなんとかいう次元ではなく、単純に想定内。濡れ場がエロいところだけ救いだった。
 それから、sleeping car porter ならぬ sleepy car porter(p.27, p.153)と自虐ネタを披露する睡眠不足の Baxter がフシギな夢を見たり、その夢と現実の区別がつかなくなったりする。これは彼が、怪奇小説やファンタジー、SFなどの草分け的な作品で有名な Weird Tales 誌の愛読者だということに起因し、その意味でやはり必然性のあるエピソード。シュールな場面もあって楽しめるのだが、本家本元の同誌所収の短編のほうがもっとおもしろかったのでは、と想像してしまう。同誌に寄稿した作家のひとりは、かの Ray Bradbury だった。
 というわけで、いままで紹介した話題の「ほかにも要所要所、ドタバタ劇やハートウォーミングな場面がちりばめられ、上々の仕上がり」なのだけど、結果的に、旅先でいろんなことを学びながら主人公が成長するという「トラヴェローグの定型のなかにまとまりすぎてパンチ不足」。2021年の "What Strange Paradise"(☆☆☆★★)といい本書といい、最近のギラー賞作品、どうもイマイチのようだ。