ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Joyce Carol Oates の “Them”(2)

 ううむ、さすが Joyce Carol Oates、モノがちがう!
 エクセルに打ち込んでいる読書記録によると、ぼくが☆☆☆☆★(約85点)を進呈したのは、Iris Murdoch の "The Bell"(1958)と A. S. Byatt の "Possession"(1990)以来、なんと2年ぶり。これにはぼく自身、驚いた。
 3作とも前世紀の小説ということには何か意味があるのかもしれない。でもきっと、ぼくのレトロ趣味、守旧派らしい評価ってことでしょうな。具体的に言うと、「内面の葛藤を劇的展開のうちに描いてこそ、名作は生まれる」という立場である。
 この見方からすると、最近の作品はどうも物足りない。たしかに面白いのだけれど、アイデアはいいのだけれど、ツッコミが甘い。深みがない。とボヤくのも、おじいちゃんの口癖ですな。
 本書を読んでいて、思わず、えっと叫んだのは第2部の終わり(p.425)。それまで「うねるようなサイクル」があり、どのシークエンスも「予想外の衝撃的な結末」が待っていたので、どうせ今度もとタカをくくっていたら、これは本当に予想外だった。
 それがあまりに衝撃的なので、最後の第3部がやや尻すぼみに感じられるほどだが、これは多分に上のようなぼくの好みも関係している。デトロイト暴動という大事件(ぼくは知らなかった)に巻き込まれた青年 Jules の「内面の葛藤」をとことん書いてほしかったデス。
 つまり、「自分は『彼ら』の一員なのか、それとも彼らはやはり『彼ら』なのか」という問題である。これは煎じ詰めると、人間はお互いに理解し合えるのか、という問いにつながると思う。さらに言えば、D. H. Lawrence の "Apocalypse" の福田訳邦題「現代人は愛しうるか」。そのあたりがみっちり書き込んであれば、★をひとつ追加したのですけどね。
 ともあれ、本書を読んだのは、昨年末から始めた「文学のお勉強シリーズ」の第1弾。あ、いや、Oates の前作 "Expensive People" に続く第2弾か。まだまだ(少なくとも英語では)未読の名作傑作が山ほどあり、もっともっと勉強しないといけません。
(写真は、裏山側から見た宇和島市妙典寺)