ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Patrick Modiano の “Suspended Sentences”(1)

 ゆうべ、Patrick Modiano の "Suspended Sentences"(1993)を読了。仏語の原題は "Chien de printemps"。3作の中編 "Afterimage" "Suspended Sentences" "Flowers of Ruin" を一冊にまとめたもので、表題作以外の原題は "Remise de peine"(1988)、"Fleurs de ruine"(1991)である。さっそくレビューを書いておこう。

[☆☆☆★★★] 収録された三つの中編の共通テーマは「失われた時を求めて」。もっぱら20世紀なかば、モディアノ自身の青少年時代と、それに重なる作家としての雌伏時代をふりかえった自伝小説と思われるが、事実とフィクションの区別はつかない。つける必要もない。パリの街角風景など、ふとしたきっかけで過去の断片がよみがえり、断片がまた断片を呼び、時には過去の夢が現実に加わり、自分および家族をはじめ、自分とかかわりのあった人びとの過去が、時の流れのなかでたゆたいながら、次第に回想の起点たる現在へと融け込んでいく。しかし多くの断片は断片のまま、謎は謎のまま、「時間の霧」につつまれている。彼はなぜ姿を消したのか。彼女はなぜ旅に同行しなかったのか。彼らが立ち去ったあとの部屋はまさに空虚そのもの。それはふだん接している人びとが、ある日突然姿を見せなくなった不条理を端的に物語っている。この不条理な空虚感と重なるのが、記憶の引き金によってかき立てられたノスタルジーである。昔から変わらぬもの、変わったものもそれぞれ、抑制の効いた筆致で淡々と描かれるだけに、すべてが懐かしい。それはまた、雌伏時代の作家の悪戦苦闘を想起させるだけに、切ない。そこで自身の過去を、苦渋に満ちた人生の不条理とむなしさを思い出し、身につまされる読者もいるのではなかろうか。