ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Annie Ernaux の “The Years”(1)

 ゆうべ、横浜のさるホテルで催された某氏の米寿を祝う会に出席。ここで名前を書くと、え、とみなさんが驚くような有名人も祝辞を述べた。そのあと会場のあちこちで昔話に花が咲き、ぼくも来し方をしばし振り返った。その歳月を文字で表現するなら、どういうスタイルがいいだろうか。
 数日前に読みおえた今年のブッカー国際賞最終候補作、Annie Ernaux(フランス)の "The Years"(原作2008)は、そんな疑問から生まれた作品である。まだ二次会の酔いがのこっているのか、頭がボンヤリしているが、がんばってレビューを書いてみよう。(追記:Annie Ernaux は2022年、ノーベル文学賞を受賞しました。本書は代表作のひとつに挙げられています)。

The Years (English Edition)

[☆☆★★★] およそ退屈で無味乾燥な内容に辛抱してつきあっていると、まず本書の創作にかかわる作者の自問があり、大詰めでその自答。なるほど、これは確信犯的な失敗作なのだ。ただし、その信念を是とするなら、たいへんな成功作である。主人公は、無名だが作者と同じノルマンディー生まれの女性。第二次大戦後の娘時代から現代までの半生をふりかえる。ストーリーは皆無にひとしい。1968年の五月革命や、何度かおこなわれた大統領選挙といった重要なできごとをはさみ、政治や経済、社会、文化、生活の変化を市民の声とともに断片的に紹介。各個人に共通の記憶を再現することで集合的な記憶を、共有された時間の流れを、人びとが実際に生きた歴史を確立しようとする。一方、女性の外見や人間関係の変化を物語る写真を挿入。撮影前後の考えや感情をひろいながら、彼女の心中に流れた時間を紙上に定着させようとする。つまり、ひとは周囲の外面的な時間と、自身の内面的な時間を同時に生きる存在である。こうした人間観にもとづく「完全な小説」が本書なのだ、と作者はいいたげである。たしかに人間存在の定義としては一理ある。がしかし、完全ではない。早い話が、ここで描かれた「共通の記憶」とはフランス左翼のものであり、保守や中道の立場は等閑視または害悪視されている。できあがった小説もまた、むろん完全ではない。主人公はただ、そこに存在しているだけだ。その生きかたは感動も共感も、反発すらも呼ぶものではない。ゆえに読者は「およそ退屈で無味乾燥な内容に辛抱してつきあ」う破目になる。そもそも、これは果たして小説なのか。もしそうなら、〈アンチ・ノヴェル小説〉としか評しようのない作品である。