ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Annie Ernaux の “The Years”(1)

 ゆうべ、横浜のさるホテルで催された某氏の米寿を祝う会に出席。ここで名前を書くと、え、とみなさんが驚くような有名人も祝辞を述べた。そのあと会場のあちこちで昔話に花が咲き、ぼくも来し方をしばし振り返った。その歳月を文字で表現するなら、どういうスタイルがいいだろうか。
 数日前に読みおえた今年のブッカー国際賞最終候補作、Annie Ernaux(フランス)の "The Years"(原作2008)は、そんな疑問から生まれた作品である。まだ二次会の酔いがのこっているのか、頭がボンヤリしているが、がんばってレビューを書いてみよう。

The Years

The Years

 

 [☆☆★★★] およそ退屈で無味乾燥な内容に辛抱して付き合っていると、まず本書の創作にかかわる作者の自問があり、大詰めで自答が出てくる。なるほど、これは確信犯的な失敗作なのだ。ただし、その信念を是とするなら大変な成功作である。主人公は、無名だが作者とおなじくノルマンディー生まれの女性。第二次大戦後の娘時代から現代までの半生を振り返る。ストーリーは皆無にひとしい。1968年の五月革命や何度か行われた大統領選挙など主な出来事をはさんで、政治や経済、社会、文化、生活の変化を市民の声とともに断片的に紹介。各個人に共通の記憶を再現することで集合的な記憶を、共有された時間の流れを、人々が実際に生きた歴史を確立しようとする。一方、女性の外見や人間関係の変化を物語る写真を挿入。撮影前後の考えや感情を拾いながら、彼女の心中に流れた時間を紙上に定着させようとする。つまり、人はストーリーではなく、周囲の外面的な時間と、自身の内面的な時間を生きる存在である。こうした人間観にもとづく「完全な小説」が本書なのだ、と作者は言いたげである。たしかに人間存在の定義としては一理あるが、完全ではない。早い話が、ここで描かれた「共通の記憶」とはフランス左翼のものであり、保守や中道の立場は等閑視または害悪視されている。出来上がった小説もむろん完全ではない。主人公はただ、そこに存在しているだけであり、その生き方に感動も共感も、反発すらも覚えることができない。ゆえに読者は「およそ退屈で無味乾燥な内容に辛抱して付き合」う破目になる。そもそも、これは果たして小説なのか。もしそうなら、〈アンチ・ノヴェル小説〉としか言いようのない作品である。