ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

文学と政治:Juan Gabriel Vásquez の “The Shape of the Ruins”(2)

 今週というか先週というか、とにかくこの一週間は超繁忙期につき、毎日〈自宅残業〉。きょうも日曜日なのに出勤して仕事の遅れを取り戻し、帰りにジムに寄って、なまった身体を鍛え直してきたところだ。
 そんなわけで読書は小休止。その代わりストレスの発散に、アステア=ロジャースのミュージカル映画を3本観た。ブルーレイ盤なのにDVDとさほど変わりばえしない画質にガッカリしたが、中古で安く買ったので文句は言えない。 

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 その昔、"Astaire is the best." と知り合いのアメリカ人から聞いたことがある。それは決まり文句みたいなものだけれど、ほんとうにそうなのだから、そうとしか言いようがない。あの流れるようなアステアの脚の線に見ほれ、大きなタップと小刻みなタップが入り混じる音に聴きほれるだけで、ささくれた神経もしばし解きほぐれていく。
 閑話休題。既報のとおり、Juan Gabriel Vásquez の "The Shape of the Ruins" が今年のブッカー国際賞落選とは、ほんまかいな。現地ファンの下馬評では最有力候補のひとつに挙げられていたし、ぼくも高く評価していただけに(☆☆☆☆)、とても残念だ。  扱われているふたつの暗殺事件は、コロンビアでは非常に有名な大事件らしいが、ぼくはもちろん本書を読むまで知らなかった。それどころか、正直言って、読んでいる最中もそれほど関心は持てなかった。興味という点では、導入部のケネディー暗殺事件のほうが面白かったくらい。べつに新事実が暴露されているわけではないのだけど。
 それでも、思わず居住まいを正して読んだくだりがある。"Out of the quarrel with others we make rhetoric," wrote Yeats, "Out of the quarrel with ourselves we make poetry." And what happens when both quarrels arise at the same time, when fighting with the world is a reflection or a transfiguration of the subterranean but constant confrontation you have with yourself? Then you write a book like the one I'm writing now, and blindly trust that the book will mean something to somebody else.(p.440)
 心に響く言葉だ。Vásquez が第一級の作家であることを如実に物語っている。ほかの箇所と併せて、ぼくはレビューで次のようにまとめた。「ヴァスケスはやはり事件の解明を通じて、自分にとって国家とは何か、そこに生まれた自分はどんな存在なのか、とみずから問いただしている。この『世界および自分自身との格闘』が創作の起点にあるという告白は、現代の作家からは久しく聞かれなかったものかもしれない」。
 幕切れの言葉もいい。.... I stayed there, in the darkness of the peaceful room, .... trying to hear their [my wife and my daughters'] soft breathing and the noises of the city [Bogotá], that city .... that can be so cruel in this country [Colombia] sick with hatred, that city my daughters would inherit as I had inherited it: with its sense and its excesses, its rights and its wrongs, its innocence and its crimes.(p.505)
 体制派による政治的な陰謀が裏で渦巻いているのではないか、と大いに疑わせる暗殺事件とくれば、どこかの東洋の島国では、社会正義を錦の御旗とする反体制派の作家がお得意の題材である。中学生のころだったか、ぼくは戦後のいくつかの大事件にかんする芥川賞作家のドキュメンタリーをとても面白く読んだものだが、ひとつだけ解せない点があった。何でもかんでも米軍の謀略がからんでいたからである。はたして真相はどうなのか、ということだけど、後年、少なくとも下山事件については作者の勘違いであることが判明している。
 ともあれ、Vásquez は一方的な告発や弾劾に走らず、「何が真で何が偽か、あやめも知らぬ迷宮の世界」から必然的に導かれる「現実とフィクションの混淆」というかたちでメタフィクションを生み出している。途中報告でも書いたように、その描写は「バランス感覚に裏打ちされ」、フィクションのはずなのに「事実に即した(と思わせる)もので、思想的なバイアスは認められない」。それがぼくにはとても読みやすかった。
 また、上のラスト・センテンスが示すとおり、どうやら Vásquez は、「歴史には、国家には光と影がつきもので、矛盾を矛盾のまま国民が受け継いでいく」という歴史観、国家観の持ち主のようだ。ジョージ・オーウェルの評論集のタイトルを借りれば、「右であれ左であれ、わが祖国」ということでもあると思う。 

  コロンビアといえば、偏見かもしれないが、暴力と麻薬犯罪の横行する危険な国、というイメージがある(実情と反しているかもしれません。誹謗中傷の意はないので、あしからず)。けれども、Vásquez のような一流の文学者がいることだけは間違いない。ならば彼の国の未来に希望はきっとある、というのが小説オタクの素朴な感想です。
 一方、平和な島国のほうは治安がとてもよく、大麻を所持していた歌手やタレントがたまに逮捕されるくらい。だが、Vásquez クラスの作家がいるかどうかはイマイチ怪しいものだ、とぼくは疑っている。"The Shape of the Ruins" と並んで、今年のブッカー国際賞レースの本命を争っていた "The Years" の著者、Annie Ernaux についてぼくは、日本でいえば「60年安保闘争で挫折した人たちのような政治感覚」の持ち主だと皮肉ったけれど、そういう作家、いまでもこの島国にはいるかもしれませんな。いや、べつにいてもいいんだけど。すぐれた作品で読者をずっと感動させてくれるなら。
 こう書くと、いやいや、島国だけどノーベル賞を受賞するかもしれない大作家がいるぞ、という声が聞こえてきそうですな。でもあの人の政治感覚、どうなのでしょうか。じつはゼミの先輩の友人なので、あまり悪口は言いたくないのだけど。