あああ、ゴールデンウィークも終わってしまった。テンプのぼくもきょうから〈自宅残業〉ながら仕事再開。といっても、頭はいつにも増してボケ気味で、連休前のモードに戻すのにちと時間がかかってしまった。
一方、実質的に連休後半からボチボチ読んでいるのが、今年のブッカー国際賞最終候補作、Juan Gabriel Vásquez の "The Shape of the Ruins"(原作2015、英訳2018)。相変わらず快調で、とても面白い。前にもどこかで書いたとおり、ただの直感だが、これが賞レースの大本命のような気がする。候補作を読むのはまだ二作目ですけどね。
大筋としては、いまのところ、1948年4月にコロンビアで実際に起きた有名な政治家 Jorge Eliécer Gaitán の暗殺事件を扱ったもの。かの Gabriel García Márquez もたまたま事件現場に居合わせ、その後、事件の裏に政治的な陰謀があったことを自著で示唆しているという。作者の Vásquez 自身、実名で主人公として登場。W・G・Sebald の諸作のように写真を数葉あしらい、現実とフィクションの融合を目指しているかのごとく見える。
きょうやっと中盤にたどり着いたばかりだが、まだ上の暗殺事件の解明は始まっていない。それなのにクイクイ読めるのは、9.11テロ事件や、ケネディー暗殺、さらには第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件など、直接的な関連の有無はさておき、周辺の内容への脱線が面白く、かつ、その描き方がバランス感覚に裏打ちされているからだ。9.11テロがアメリカ政府の自作自演という陰謀説を、わりと熱っぽく紹介しておきながら、それを論理的に否定してみせるのがいい例である。
こうした意味のある脱線こそ小説としてのふくらみを増すものだ。この調子なら、いずれ本格的に開始されるであろう Gaitán 暗殺事件の謎解きにも期待が持てそうである。
バランス感覚といえば、もう一ヵ月以上も前に読んだ今年の全米批評家協会賞(対象は昨年の作品)の最終候補作、"The House of Broken Angels" の作者 Luis Alberto Urrea も大したものだ。
レビューでは触れなかったが、この作品には、じつはキナくさい問題も出てくる。アメリカに渡ったメキシコ系不法移民の家族の物語だからだ。とくれば、あの大統領がすぐに思い浮かび、書きようによってはいくらでも政治小説になるところ、Urrea の手法は政治と不即不離、微妙なバランスを保っている。というか、ここでは政治はあくまで背景にすぎない。それなのに、アメリカとメキシコは文字どおり一衣帯水で、それだけになおさら複雑な事情があることが何となく分かってくる。こういう〈間接話法〉を駆使したほうが、バイアスのかかった政治小説より数等上出来の作品に仕上がるのではないだろうか。
もちろん、これは人生の厄介な問題を追及した文学的に「深みのある物語」ではない。人間関係の面白さに主眼を置いた文芸エンターテインメントである。だから結局、全米批評家協会賞にも選ばれなかったのだろうけど、それでも最終候補作にはノミネート。この賞はやっぱり目が離せませんね。
(写真は、愛媛県宇和島市神宮寺)