ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Michel Houellebecq の “Submission”(3)

 本書を読もうと思ったきっかけは、後日起きた大事件とはなんの関係もない。遅まきながら注文した今年のブッカー賞最終候補作が手元に届くまでの、いわば場つなぎに、積ん読の山からテキトーに見つくろっただけだ。
 Houellebecq はフランスのベストセラー作家ということで、代表作はだいたいゲットしているけれど、じっさい手に取ったのはこれがはじめて。前にも書いたとおり、フランスの現代文学といえば、ぼくは Modiano 中毒患者だったので(いまもそうだ)、その追っかけで忙しかったし、Houellebecq はイスラム問題を採りあげて毀誉褒貶かまびすしい〈ヤバイ作家〉という先入観もあった。
 それが開巻早々、文字どおり先入観にすぎなかったのでは、と思える文言に出くわした。the remaining Western social democracies(p.3)a Western civilization now ending before your eyes(p.4) 断片的とはいえ、こんな文明論にふれたのはひさしぶりだ。
 その直後、こんどは文学論がはじまる。Only literature can grant you access to a spirit from beyond the grave—a more direct, more complete, deeper access than you'd have in conversation with a friend.(p.5)  音楽や絵画の巨匠たちの作品にも当てはまりそうな話だけど、音痴で鑑賞眼もないぼくにはせいぜい indirect, incomplete, shallow な accessしか得られないことを考えると、Only literature というのは納得できる。
 こうした文明論、文学論の一端を示したあと、Houellebecq は本書をどう展開させるのかと思ったら、なんと主人公 François のセックス遍歴ときた! これにはガツンとやられましたね。読後の印象も同様で、「硬軟自在、性愛と政治、文明を描きわけながら三者ニヒリズムへと収斂させるウエルベックの技巧はまさに超絶的である」。

 技巧にすぐれているだけでなく、Houellebecq は立場的にもヤバイ作家どころか、しごくまっとうな作家というのが本書を読んだ感想だ。イスラム教の「教義に抵抗しうるだけの精神的支柱を今日の西欧人は有しているのか。それが本書の警告の真意であろうと思われる」。上の文明論の断片はその警告を導く前ぶれだったのではないか。
 これは日本人への警告としても拡大解釈していいだろう。前回(2)からコピペしておくと、「西欧諸国だけでなく、東洋の島国の住民にもそんな『精神的支柱』はあるのだろうか」。
 ぼくは最近まで知らなかったが、その島国の大新聞や民放はなんとハマスを擁護しているのだそうだ。驚き呆れたが、毎度のことで、さもありなんとも思った。
 そこでは平和が絶対善とされ、だれもかれもが平和を守るべしという。ところが、そのいわゆる平和主義者たちはべつに平和に徹しているわけではなく、自分たちと意見を異にする人びとを攻撃し、しかもそれが平和を守るために必要なことだと信じている。
 上の大新聞や民放にしても、ほんとうに平和主義の立場なら即時停戦のみを訴えるべきだろうが、どうもそうではないらしい。そんないいカゲンさがいかにも島国のジャーナリズムらしく、ひるがえって、ぼくたち読者視聴者はどうなのか。いいカゲンさを許さない「精神的支柱」なんてあるのかな、と自分のことは棚に上げて思ってしまった。

(写真は、8月に訪れた別府の血の池地獄。あの旅行も、いまとなっては夢みたいだ)