ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Chigozie Obioma の “An Orchestra of Minorities”(2)

 2週間ほど前にわが家から忽然と消えたヘアートリートメントと電気ひげ剃りだが、相変わらず出てこない。7日の記事に書いた消失の状況をドラ娘に電話で説明したところ、どうやらホラ話ではなさそうだけど、でもね、と半信半疑のようす。日常空間のブラックホールにでも吸い込まれたのだろうか。そんなことって物理的にあるのかな。
 なんだかホラ話ならぬホラー話みたいだが、表題作も「土俗的マジックリアリズム」を駆使した作品で、主人公 Chinonso の行動や心理を守護霊が見守るあたり、最初はヘンテコな物語だなと思ったものだ(☆☆☆★★★)。 

 タイトルの an orchestra of minorities に関連するくだりは、ぼくのメモによると、4箇所ある。まず、Chinonso の飼っていたニワトリのひなが鷹にさらわれ、仲間の鳥たちが一斉に鳴き声を上げる(pp.97-98)。ついで、同様に人間の世界でも、弱者は強者のなすがままになり悲鳴を発するしかない、という趣旨のところ(pp.288-289)。そのすぐあと、he [God] gives voice .... to the orchestra of minorities!(p.303)とあり、これは神の配剤により、弱者でもたまには機会に恵まれるということだろう。
 問題は最後のくだりで、Chinonso は最愛の女 Ndali を失った悲しみに暮れる。He drove on, crying and wailing, singing the tune of the orchestra of minorities.(p.511)
 詳しい説明は省くが、ぼくはこれを頭に置きながら、本書を「矮小化した人間」という「小さな存在のオーケストラ」が奏でる運命交響曲、とまとめてみた。Chinonso は Ndali と出会ったことにより、「想像を絶するほど過酷な試練。激情ゆえに悲劇に見舞われ」る。ところが、その試練は彼を偉大な人間へと高めることは決してない。それどころか、彼はどんどん minorities の一員へと degenerate していく。ゆえにその悲劇はシェイクスピア劇とちがって大きな感動を与えるものではない。その結果、「後味はあまりよくない」。
 一方、これまた結論だけ述べると、「物語的には『オデュッセイア』に接近」していく面もある(p.466)。ところが、Chinonso の守護霊の領域、つまり神々の世界は、現実の世界とは乖離している。せっかく「土俗的マジックリアリズム」が導入されているというのにだ。このあたり、たとえば Chinono が守護霊の存在を薄々感じるくらいの設定でもよかったのではないか。そうすればそこに多少は〈運命感覚〉が生まれ、悲劇の与える感動もいくらか大きくなったのでは、というのがぼくの、ないものねだりの願望である。
 とはいえ、本書を読むと、人間が「神話の時代からはるか遠くまで来てしまった」ことがよくわかる。神々の世界は存在するかもしれないけれど、登場人物のほうはそれをまったく意識しない、という物語だからだ。神々とは無縁の矮小化した人間、「小さな存在のオーケストラ」が奏でる運命交響曲という意味で、「これは現代において悲劇が成立しうる一つの極北を示した」作品だと思う。どうでしょうか。

(写真は、パリのシャンゼリゼ通りにある有名なレストラン〈フーケ〉。今年の夏に撮影)

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