ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Jeffrey Eugenides の “Middlesex”(1)

 2003年のピューリツァー賞受賞作、Jeffrey Eugenides の "Middlesex"(2002)を読了。さっそくレビューを書いておこう。 

Middlesex: A Novel (English Edition)

Middlesex: A Novel (English Edition)

 

[☆☆☆★★]「わたしは二度生まれた。最初は女の子として。それから十代の少年として」という書き出しはかなり魅力的。そこで当然、ふたつの興味が生まれる。まず、どうしてそんな奇跡が起きたのか。つぎに、その奇跡にはどんな意味があるのか。前半、最初の問いにつながる経緯を小出しに示した歴史小説篇が波瀾万丈でおもしろい。主人公カリオペの祖父母が1922年、大火の発生したエーゲ海港湾都市スミルナから脱出。渡米後、大恐慌、第二次大戦と現代史の激流にのまれるうち、やがてカリオペの父母が出会い、カリオペ自身も誕生。ギリシャ系移民の苦難の物語が、2001年の現代に生きるカリオペの視点から綴られる。基調はメロドラマだが、奇跡がからむゆえに異色の展開。ところが後半、歴史に翻弄される移民の姿が影をひそめ、もっぱら「アメリカ人の生活でよくある(個人的な)悲劇」が描かれるようになると通俗性が鼻につく。カリオペが女児から少年へと変身しなければ、あとはふつうの青春恋愛小説、およびホームドラマだからだ。この奇跡のプロセスについては、ネタは明かせないがよく書けている。がしかし、そこに「どんな意味があるのか」となるとかなり怪しい。タイトルから、ジェンダーの問題が深掘りされるのを期待したが、カリオペの家族にとって「ジェンダーはそれほど重要なものではない」という。実際、ここではジェンダーの確認は個人のアイデンティティの確認にとどまり、伝統や文化など国民あるいは民族にかかわるものではない。移民の歴史にしても、多々見受けられるギリシア神話への言及にしても、ジェンダーとはほぼ無関係の背景どまり。結局、カリオペは再生するまでもなく、ふつうの男女どちらかひとつでよかったのでは、と思える点に本書の突っこみの甘さがある。とはいえ、物語性は抜群なので★をひとつオマケしておこう。