ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Benjamín Labatut の “When We Cease to Understand the World”(1)

 きのう、今年の国際ブッカー賞最終候補作、Benjamín Labatut の "When We Cease to Understand the World"(2020)を読了。原題は "Un Verdor Terrible"(2019)で、スペイン語からの英訳である。さっそくレビューを書いておこう。  

When We Cease to Understand the World

When We Cease to Understand the World

 

[☆☆☆★★★] コロナのコの字も出てこないが、これはまさにコロナの時代を端的に要約した短編集である。いまだ精確には正体のつかめぬ元凶がもたらした不確実なカオスの時代。そのルーツは本書を読むと、じつは人間という矛盾に満ちたあいまいな存在そのものにあるのではないか、と思える。表題作でひらたく解説されたハイゼンベルク不確定性原理によれば、「現在そのものが人間の理解を超えたもの」であり、そこには「つねにあいまいで不明、不確かなものが存在」し、「われわれが世界について知りうることには絶対的な限界がある」。彼のよきライバルだったシュレーディンガー篇では、恋物語など小説的な展開をはさんで、物理学の謎が人間存在の謎と重なってくるところがおもしろい。「あらゆる物質は二重の属性を有している」というルイ・ド・ブロイの説は、そっくりそのまま人間についても当てはまるし、原爆製造の当面の可能性を否定したハイゼンベルクが広島の原爆投下のニュースを信じられなかった、という皮肉なエピソードは、人生の不確実性をみごとに物語っている。ビッグバンから悠久の時をへて人類が誕生したことを思えば、「物質と人間の精神には相関関係があるのでは」と疑ったシュヴァルツシルトの説もあながち荒唐無稽とはいえない(第二話)。さらに進んで彼は、自分の示唆したブラックホールが超高密度ゆえに光をも吸収するように、人間の意志の集中により、何百万もの人びとの強制収容がはじまるという全体主義社会を思い描いている。あとの三話に共通するのは、科学の進歩はもろ刃の剣、というおなじみのテーマ。ハーバーの開発した化学肥料は多くの人びとを飢饉から救ったが、彼は同時にナチス強制収容所で使用された毒ガスの開発者でもあった。すなわち、「地球を破滅へ導くのは政治家ではなく科学者」であり、科学にはそれ以上踏みこんではならない危険な領域、未知の世界がある、というのが全篇から伝わってくるメッセージである。それがじつはコロナの時代到来の警告だった、と解するのは牽強付会に過ぎよう。しかし少なくとも、本書で紹介された自然科学と数学の天才たちの生涯から、今日の混乱の本質が読みとれることだけは明らかだ。では、われわれはなにをなすべきか。それはまたべつの物語が必要な問いである。