うかつだった。落ち穂拾いをしようと思って本書を手に取ったら、なんと Tabucchi 自身による巻頭の Note にこんな一節があった。But this book is, above all, a homage to a country I adopted and which, in turn, adopted me, and to a people who liked me as much as I liked them.
そこで急遽、以前アップしたレビューにつぎの一文を加筆。「さらに「前書き」によれば、これは著者タブッキが帰化したポルトガル、およびポルトガルの人びとへのオマージュなのである」。
いっそ全文を修正しようかとも思ったが、同じく「前書き」に Besides being a "sonata," the Requiem is also a dream とあり、ぼくの批評もどきも、まんざら的外れではなさそうだ。あとは拙文のまま恥をさらすことにした。
なお、カテゴリーも変更せざるをえなくなった。これは最初から気づいていたことだが、原作はポルトガル語で書かれている。ところが Tabucchi はイタリア人。いままでイタリア文学とポルトガル文学を区別し、レビューを書いた時点ではとりあえず本書をイタリア文学に分類していたが、上の Note を読むと、ポルトガル文学のほうが妥当かもしれない。どうしようか迷ったあげく、イタリアとポルトガル、ついでにスペインなどをひとつにまとめ、南欧として扱えばいいと思いついた。
さて、Tabucchi 自身は上のように本書を sonata と考えているけれど、ぼくは A Hallucination という副題(ポルトガル語では uma alucinação)からして「幻想曲」のほうがぴったりだと思う。邦題は副題をカットして『レクイエム』となっているが、それでは味も素っ気もない。リスボンが舞台であることを踏まえ、『レクイエム、あるいはリスボン幻想曲』なんてどうだろう。もちろん、"Indian Nocturne" から連想したものだけど。
それにしても、本書は冒頭からしてフシギな設定である。「私」がリスボン近郊の村 Azeitãoで休日を過ごしていると、数年前に物故したはずの the greatest poet of the twentieth から電話があり、リスボンの波止場でくだんの詩人と会うことになる。やがて見おぼえのある男が近づいてくる。.... ah, now I remember, it was in The Book of Disquiet, you're the Lame Lottery-Ticket Seller who was bothering Bernardo Soares, that's where I met you, in the book I was reading under the mulberry tree in the garden of a farmhouse in Azeitão.(p.14)
このくだりを読んだとき不勉強のぼくは気づかなかったが、"The Book of Disquiet" の著者は上の the greatest poet of the twentieth、つまり Fernando Pessoa である。Pessoa の話はこの前ページにも出てくるので、同書を読んだことがあるひとなら、上の引用箇所のフシギさがいち早く、いっそうピンときたことだろう。Pessoa の本が積ん読の山に埋もれているぼくは、「私」同様、it's utterly absurd(p.11)と思っただけだった。
以下、「私」は「実際に詩人と面会するまでの半日間、夢と幻想、現実が渾然一体となったマジックリアリズムの世界を彷徨」。さまざまな人びとと出会うが、詳細は上の例で推して知るべし。とにかく「どの人物もユニークな存在感があり、どのエピソードもリアルでシュールな様相を帯び」、「私」は「虚構と現実の境界線を往来しながら少年時代からの人生を追体験する」。
幕切れで「私」と Pessoa のかわす文学談義が面白い。.... but don't you think that's precisely what literature should do, be disquieting I mean?, personally I don't trust literature that soothes people's consciences. Neither do I, I agreed, but you see, I'm already full of disquiet, your disquiet just adds to mine and becomes anxiety. I prefer anxiety to utter peace, he said, given the choice.(p.99)
ぼくもじつはふたりの文学観に共感するものだが、ここで残念なのは、disquiet なり anxiety なり、その実態がつまびらかにされていないことだ。「愚者が密をくれようとしたら唾を吐きかけろ。賢者が毒をくれたら、一気に飲め」と述べたのはゴーリキーだが、賢者の毒こそ不安のもとである。そのあたり、"The Book of Disquiet" には示されているのかもしれないが未読。ぶ厚い本なので、実際に取りかかるのはまだまだ先になりそうだ。
(下は、この記事を書きながら聴いていたCD)