ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Ling Ma の “Bliss Montage”(3)

 短編集を読んだのはずいぶんひさしぶり。いまチェックすると、二年前の国際ブッカー賞最終候補作、"When We Cease to Understand the World"(2019 ☆☆☆★★★)以来だった。

 同書ではハイゼンベルク不確定性原理などが紹介され、コロナの時代という「不確実なカオスの時代」のルーツが、「じつは人間という矛盾に満ちたあいまいな存在そのものにあるのではないか、と思える」エピソードが連続。テーマがテーマだけに知的昂奮をおぼえることが多かった。
 ではこの「まずまず佳篇ぞろいの好短編集」、"Bliss Montage" はどうか。これは前回紹介した 'Oranges' のように結末に深い余韻がのこるものと、そうでないものとがある。その「余韻」とはなんだろうか、というのが今回のテーマ。
 それはもちろん、上の "When We ... " が与えるような「知的昂奮」ではない。なにしろ 'Oranges' は、今カノの面前で元カノに旧悪を暴露された男が見せた一瞬の表情でおわる。He didn't look angry or bitter or violent. Nor did he look guilty or remorseful or ashamed. He just looked trapped.(p.47) 鮮やかなショットだが、そこにどんな意味があるのかと訊かれると、ハテ?
 ついでにほかのエンディングも読みかえしてみた。なかには、「ヒマラヤの雪男とのセックスや、大学教官室の秘密のとびら、妊婦の股間から胎児の腕が垂れさがるといったユニークな設定」のものもある。その三話だけ拾ってみると、
1. Your voice got soft. It sprouted nightshade. "Listen," you said. "Don't hang up. Listen."(Yeti Lovemaking, p.86)
2. His exclamation made the figure startle. She turned around and looked at him, the cigarette falling from her mouth. It snuffed out when it hit the ground.(Office Hours, p.167)
3. The baby arm had freed itself from her crossed legs, and falling once more, digging at her skin. In the moment before Eve felt another contraction, the plane turned and headed out. She watched, dully, as it glided down the runway, speeding toward liftoff.(Tomorrow, p.226)
 なるほど。たしかによく工夫されている。第一例からは、短編ではないが『ノルウェイの森』を思い出した。「僕は受話器を持ったまま顔を上げ、電話ボックスのまわりをぐるりと見まわしてみた。僕は今どこにいるのだ。(中略)僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼びつづけていた」。
 第二例と似ているのは、吉行淳之介の『驟雨』。「捥(もぎ)られ、折られた蟹の脚が、皿のまわりに、ニス塗りの食卓の上に散らばっていた。脚の肉をつつく力に手応えがないことに気付いたとき、彼は杉箸が二つに折れかかっていることを知った」。
 第三の類例としては映画『カサブランカ』。空港の場面で幕を閉じるドラマといえば、あれでしょう。
 こうしてみるとこの三話、鮮明度という点で、いずれも類例のほうがまさっている。よって本書は「まずまず佳篇ぞろいの好短編集」ではあるけれど、傑作短編集とまではいえない。
 ここで上の「余韻」の話にもどると、短編の読後にのこる余韻とは、とりあえず、いいかえれば「鮮明度」のことではないか。その昔、「短編小説は閃光の人生!」という名キャッチコピーがあった。ある短編のよしあしは、それが人生の一瞬を鮮やかに斬りとったものかどうかで決まる、というのがひとつの基準だろう。
 それは一瞬の人生と逆にいってもいいし、永遠の一瞬といってもいい。その昔、大枚はたいて買い求めた "I Love Galesburg in the Springtime"(1963) の最終話 'Love Letter' の幕切れはこうだ。Under this were the words, I NEVER FORGOT. / And neither will I.(Simon and Schuster, p.224)この邦訳版を読んで落涙しなかったひとがいるとは、ちょっと想像できない。
 だからなんなんだ、という反論もあるだろう。たしかに Melville や Chekhov, D.H. Lawrence などの短編は、「人生の鮮やかなショット」だけでは説明のつかない知的昂奮に充ち満ちている。しかしぼくはまだ、恥ずかしながら、英語ではそれらを読み切っていない。短編の余韻について完全な結論に達するのは、はて、いつのことになるやら。

(下は、この記事を書きながら聴いていたCD。四月からボーカル以外のジャズを聴いてきたが、やっぱりこれがベストかな)

コンセクレーション~ザ・ファイナル・レコーディングス・ライヴ・アット・ザ・キーストン・コーナー Vol.2