ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Michel Houellebecq の “Submission”(1)

 きのう、フランスのベストセラー作家 Michel Houellebecq(1956 - )の "Submission"(原作・英訳2015)を読了。Wiki によると、仏語版が発売された1月7日、フランスの週刊風刺新聞シャルリー・エブド紙の本社にイスラム過激派テロリストが乱入、編集長その他、12人を殺害するという事件が発生した。また同年11月13日には、イスラム過激派組織ISILによるパリ同時多発テロ事件も発生。
 こうした当時の政治情勢は、本書を理解・評価するうえでおそらく無視できないものだろうが、さてどうしようか。などと考えているうちに、またもや途中でひと休みしてしまった。今回もレビューのでっち上げにえらく苦労しそうだ。

Submission

[☆☆☆☆] 西欧のイスラム教への「服従」を警告した近未来SF。シュペングラーの『西洋の没落』第二巻刊行からちょうど百年後の2022年、フランスの総選挙でイスラム政党が勝利した結果、同国内では急速なイスラム化が進み、その動きは他のEU諸国にも波及。将来的には中東・アフリカ諸国のEU加盟により、ローマ帝国と同じ版図まで拡大するという。主人公の文学教授フランソワのいう「終焉を迎えつつある西洋文明」とは、シュペングラーの例が示すとおり相当に古い発想で、キリスト教は現代の危機への処方箋たりえないと断じる学長の説もまた目新しいものではない。フランソワの愛読するニーチェが「神は死んだ」と宣言したのは19世紀末なのだ。本書の独創性はひとえに、「もはやみずから救いようのないほど腐敗分解したヨーロッパ」をイスラム教が席巻するかもしれぬ、というシリアスな問題をみごとにフィクション化した点にある。フランソワは恋人と別れ、専門のユイスマンス研究も完遂して「知的生活は終了」。濡れ場の果てに直面した心の空洞化は、肉親の死など個人的悲劇の場合にしか哲学が語られぬ西洋の「確たる根拠なきニヒリズム」と一致。硬軟自在、性愛と政治、文明を描きわけながら三者ニヒリズムへと収斂させるウエルベックの技巧はまさに超絶的である。それにしても、はたして西欧は本書の設定どおり、早晩イスラム教に服従する運命なのか。イスラム教は「世界の人びとのものとならなければ存在しなくなる」と上の学長は述べ、じっさい『コーラン』には、「騒乱がなくなるまで、そして宗教のすべてが神のものとなるまで戦え」と明記されている。こうした教義に抵抗しうるだけの精神的支柱を今日の西欧人は有しているのか。それが本書の警告の真意であろうと思われる。