ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Paul Lynch の “Prophet Song”(4)

 この十日ばかり、またしても絶不調だった。急激な冷え込みと極端な寒暖差に身体が対応せず、てきめん風邪をひいてしまった。
 コロナでもインフルでもなく、ただ喉が痛く、黄色い鼻水が出て、7度にも満たぬ発熱。そんな気分のすぐれない日がずっとつづいた。当然読書ははかどらず、公園の掃除をするだけで疲れきり、「外は冷たい雨」などと感傷的な記事を書いてしまった。
 医者には診てもらわず、桔梗湯など漢方の常備薬だけでしのいだ。今週ようやくジムで走れるようになったのがウソみたい。こんどの風邪はぼくにしては早く治ったほうだ。ただ、いまも喉がイガラっぽく、桔梗湯はまだ服んでいる。
 こんなときこそおもしろい本に出会うといいのだけど、あいにく体調に比例してハズレつづき。レビューもどきをでっち上げるのもひと苦労だ。なぜつまらないか、と説明するのはけっこうむずかしい。
 あ、でもきょうから読みはじめた Paul Murray の "The Bee Sting"(2023)はいまのところ、クスッと笑わせる箇所がいくつもあり、ぼく好み。デカ本なのでブッカー賞の発表までに読了できそうもないのが残念だ。タイトルにかかわるくだりはこうなっている。... as Imelda's father was driving his daughter to the church, a bee had flown in the window of the car and got trapped in her veil. She started freaking out, ... But her dad thought she just didn't want to marry Dickie. ... So that was why no pictures [of the wedding]?  ... The sting was that bad? / My dad said it looked like she had a pig bladder stuck to her face, ...(pp.16-17)
 表題作も、最初は快調だった。The night has come and she has not heard the knocking, standing at the window looking out onto the garden. How the dark gathers without sound the cherry trees. It gathers the last of the leaves and the leaves do not resist the dark but accept the dark in whisper. ... Watching the darkening garden and the wish to be at one with this darkness, to step outside and lie down with it, to lie with the fallen leaves and let the night pass over, to wake then with the dawn and rise renewed with the morning come. But the knocking.(p.1)
 ただ、読み進むにつれ、「詩的な情景描写と、人物の不安・緊張感がなかなかいい」ところがじつは本書最大のセールスポイントなのでは、という気がしてきた。政治と家庭を対比させ、大きな流れに翻弄される小市民を描くのは毎度おなじみの話。政治を国家や民族、歴史、戦争などといいかえれば、相当な数にのぼる。が、上の引用例をはじめ、「どの場面もさながら散文詩のような情緒にあふれ、政治問題と詩的表現との対比が鮮やか」な作品となると、その数はがくんと減るのではないか。
 深夜、突然警官が家にやってくる。民主主義国家の善良な市民でも不安がよぎる一瞬だ。それが本書の場合、読後にふりかえってみると、上の the knocking は「国家緊急事態法のもと反体制派が逮捕拘禁され、厳しい情報統制が敷かれ」たディストピア社会の怖ろしさをみごとに象徴していたことがわかる。座布団三枚!
 けれども、いうまでもなく、事件そのものは「いつかどこかで読んだり見たり聞いたりしたようなこと」だ。「ディストピア社会の怖ろしさ」と書いたが、たとえば「犠牲者を選び、自分の計画を詳しく練り、それからベッドに入る……世の中にこれほど楽しいことはない」とうそぶいたというスターリンの怖ろしさは、本書の登場人物の比ではない。
 現在どうなっているかは未確認だが、モスクワの野外美術館には、スターリンに粛清された人びとの石像が陳列されている。あの写真を見てもよおす吐き気は、映画『夜と霧』で人骨の山を観たときと同じものだ。事実は小説より怖いのである。
 そんな恐怖のディストピアはなぜ出現するのか。それがもっとも重要な問題であるはずだが、これは詩的表現の限界を超えている。ゆえに Paul Lynch がほとんど素どおりしてしまったのは当然だが、ないものねだりながら、不満はのこる。
 また、本書で描かれる反体制派の弾圧や情報統制が、「明らかにウクライナ侵攻開始後のロシア国内情勢と酷似」している点も、けっきょく現象論の域を出ず、「座布団一枚、持ってって!」。
 しかもそれは社会現象の正確な再現ではない。彼の国では大統領の信者が相当多数いるものと報道されている。弾圧や統制だけの問題ではなさそうだ。この報道が正しいなら、本書のディストピアの淵源となっているナショナリズムの記述は、いかにも「あっさりしすぎて物足りない」。
 と、あれこれ重スミのケチをつけてきたが、いま現地ファンによる人気ランキングをチェックすると、本書は依然として第1位。次点が上の "The Bee Sting" となっている。ハチのひと刺しに期待しましょう。

(下は、この記事を書きながら聴いていたCD)

1989 (19 Tracks/Deluxe Edition)