ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Stef Penney の "The Tenderness of Wolves" と Hisham Matar の "In the Country of Men"

 いささか旧聞に属するが、年明けにいくつかメジャーな賞の発表があった。まず、Costa Book Awards の部門賞http://www.costabookawards.com/awards/category_winners.aspx で Novel Award に輝いたのは A.L. Kennedy の "Day" だが、ぼくは未読。驚いたのは、処女長編賞に選ばれたのが Catherine O'Flynn の "What Was Lost" だったことで、これは昨年のブッカー賞のロングリストにも入っている作品だが、ぼくは去る9月5日の日記で「何が言いたいのかよく分からな」い「選考委員の眼識を疑ってしまう」「駄作」と酷評している。今でもその評価に変わりはないが、前にも書いたとおりイギリスでは好評のようだ。今月22日に最優秀作品賞が発表されるので、もし同書が受賞していたら選定理由をよく読もうと思っている。
 ちなみに、去年の最優秀作品賞を取った Stef Penney の "The Tenderness of Wolves" は、問題点もあるが面白い作品だった。

The Tenderness of Wolves

The Tenderness of Wolves

[☆☆☆☆] ウィットブレッド賞改めコスタ賞の06年度受賞作。物語の面白さだけで評価するなら文句なしに星4つ半。本書はこの作家の処女作ということだから、新たな天成のストーリー・テラーの登場を大いに歓迎したい。19世紀なかば、カナダ辺境の町で起きた殺人事件を皮切りに、ミステリはもちろん、冒険小説、ロマンス、ファミリー・サーガ、青春小説…さまざまな要素が入り組んで渾然一体となり、どの細部も殺人がらみの主筋とうまく並行しながら、興味のつきない展開を見せる。とにかく場面の切り換え、物語のさばき方が実に鮮やかだ。しかも、事件にかかわる主役のみならず、脇役端役にいたるまで、それぞれ心中に情念を秘めたリアルな人間として登場する。男女の恋愛、親子の愛、さては不倫、禁断の愛…生きた人間がほとばしらせ、かいま見せる感情の交錯には、ただただ感嘆するばかり。クライマックスの犯人と追跡者の対決シーンも迫力満点、最後まで小説の醍醐味を充分に味わえる作品だ。それなのになぜ星4つかと言うと、心の底まで揺り動かされるような感動を覚えなかったからだが、その原因については詳述しない。06年度ブッカー賞候補作の "The Secret River" が、時代も舞台も文体も似通っているので併読をお薦めする。http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20080315/p1 英語は準一級程度で読みやすい。

 …例によって昔のレビュー。何だかベタぼめしているようだが、ぼくはアマゾンではホメホメおじさんに徹している。投稿基準に抵触する内容かどうかを考えるのが面倒くさいからだ。「心の底まで揺り動かされるような感動を覚えなかった」理由をここで書くと、要はこれが一種の「文芸エンタテインメント」に過ぎないということである。波瀾万丈の物語として面白いことは面白いのだが、ただそれだけ。人生の重大な問題を追求しているわけでも、人間に関する真実を何かしら提示しているわけでもない。こういう作品は、あまり理屈をこねずに一気に読んでしまうに限る。そうすれば、内容的には浅くてもそれなりに楽しめるものだ。
 事実、知り合いに読書好きのカナダ人がいるので本を貸したところ、やはり「面白かった!」という感想だった。著者が現地を取材せず、資料だけで本書を執筆したという話を紹介したらびっくりしていた。それだけ描写は精密ということだろう。
 最近の賞レースの行方で僕が注目しているのは、全米書評家協会賞(全米批評家協会賞)だ。http://bookcriticscircle.blogspot.com/2008/01/2007-national-book-critics-circle-award.html 未読の候補作がほとんどだが、当たるも八卦、当たらぬも八卦、Marianne Wiggins の "The Shadow Catcher" に期待したい。理由はシノプシスの斜め読みに加え、旧作をもっている作家であることと、表紙が印象的という文学ミーハー派ならではのものだが、過去にブッカー賞でこういう山勘が当たったことがあるので、恥をしのんで本命に挙げておこう。

The Shadow Catcher: A Novel

The Shadow Catcher: A Novel

 なお、この賞でもぼくにとっては意外な作品が候補に名を連ねている。一昨年のブッカー賞の最終候補作でもあった Hisham Matar の "In the Country of Men" だ。
In the Country of Men (Penguin Essentials)

In the Country of Men (Penguin Essentials)

[☆☆☆★★] 06年度のブッカー賞候補作で、この作家の処女作。劇的で強烈な場面がいくつかあり、水準以上の出来だとは思うが、全体としてはやや散漫な印象を受けた。主人公はカイロ在住のリビア人青年で、主な舞台はカダフィ圧制下のトリポリ。青年が祖国を離れるきっかけになった事件を中心に、少年時代の回想が本書の大半を占めている。一番印象深かったのは、子供らしい浅慮の結果、本心とは異なる言動に走って友人を失ったり、同じく子供ゆえに大人の置かれた状況が見えず、親子間の葛藤を生じたり、といった日常的なエピソードの背景に、全体主義という(我々にとっては)非日常の世界が影を落としていることだ。子供の目から見た、子供の生活にまで浸透した全体主義の現実。評者としては、その点をもっと書きこんで欲しかった。そうすれば、ドストエフスキーが思想的な根源を追求し、オーウェルが具体的な恐怖を描いた全体主義の小説の歴史に、新たな一頁が加わったかもしれない。が、本書で描かれている家庭生活には愛情豊かな母親も登場し、「男たちの国」の政治状況とは別に、母親自身の個人的な思い出も語られる。小説が一本調子になるのを防ぐ効果もさることながら、何よりその語り口には哀切きわまりないものがあって、これはこれで忘れがたい。しかし同時に、それが作品の焦点をぼかしていることも否定できないだろう。英語は二級から準一級といった程度で読みやすい。

 …一年半も前に読んだ本なので詳細はほとんど忘れてしまったが、上のレビューから判断するかぎり、これは政治小説ではない。子供の世界や家庭生活の思い出に絞れば、情感豊かな印象深い作品だったはずだ。が、子供たちの友情に全体主義体制が影を落としているのに、なぜその点を徹底的に描かないのだろうと疑問に思った憶えがある。本書がもし栄冠に輝くとしたら、それは「哀切きわまりない」心情表現を高く評価した結果だろう。
 ほかにも、アレックス賞の受賞作が発表されているが、昨年のブッカー賞で僕が本命に推した Lloyd Jones の "Mister Pip" 以外は未読。後日、残りの九作からどれか選んで感想を書くことにしよう。http://www.ala.org/ala/yalsa/booklistsawards/alexawards/alex08.cfm