ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Edward P. Jones の "The Known World"

 前々回は "Gilead" の邦訳がまだ出ていない話をしたが、"Gilead" の前年(03年)に全米書評家協会賞(全米批評家協会賞)を取った "The Known World" もやはり未訳のようである。

The Known World: A Novel

The Known World: A Novel

[☆☆☆☆] 不思議な小説だ。最初は、小説であることを疑ったほどだ。これは年代記なのか、それともノンフィクション・ノヴェル、はたまたドキュメンタリーなのか。しかし、読み進むにつれ、確信した。これはまぎれもなく小説なのだと。舞台は南北戦争前、奴隷制の敷かれていたヴァージニア。日常的な事件にしろ、奇異な出来事にしろ、とにかく奴隷にまつわる小さなエピソードが淡々と綴られていく。登場人物は非常に多いが、必ず説明がついているし、巻末に人物リストもあるので、それをときどき参照しながら読む。各人の話はしばしば、何年も何十年も先の将来に飛び、そしてまた現在に戻る。という調子で、かなり入り組んだ構成になっているが、一つ一つの事件を追いかけているうちに、やがて小説的現実の生みだす魔力とでも言おうか、その虜になってしまうから不思議だ。声高に人種差別を指弾するのではなく、タペストリーさながら、奴隷の日常生活を丹念に織りこんでいき、最後に浮かびあがる絵模様としての奴隷制。巻末に、本書に関する著者とのインタビューが紹介されているので、それもぜひ読んでほしい。英語はブロークンな会話表現も多いが、すぐに意味がわかる程度なので、南部文学だからといって恐れることはない。

 …例によって昔のレビュー。これはたしか映画化されたはずだが、いまだに翻訳が出ていないところを見ると、そもそも黒人奴隷の話題そのものが日本の読者には受けないという出版社の読みがあるのだろう。その嗅覚は鋭いとは思うけれど、おかげでこんなにすばらしい小説を楽しめない読者もいるわけだ。洋書ファンなら先刻承知の秀作なので何も問題はないのかもしれないが、「完全ガイド」と銘打った某社の『ペーパーバック300選』にも載っていないのは解せない。まあ、「完全な完全ガイド」なんてものは存在しないということか。
 なお、"Gilead" のところで書いたように、神父物、牧師物も日本ではとかく敬遠されがちなので、そんな作品を一つだけ紹介しておこう。これも昔のレビューだ。

Abide with Me

Abide with Me

 慈愛に満ちた心温まる終幕がかなりいい。舞台はニューイングランドの田舎町。主人公は幼い二人の娘をかかえた牧師。妻はいない。その理由はすぐに察しがつくのだが、しばらく明示されないまま、教会や娘の通う幼稚園での出来事を通じて、周囲の人々との交流、微妙な心の揺れ動きが、抑制された静かな筆致で淡々と綴られていく。このあたり、やや焦点が絞り切られていないが、妻の身に起きた事件が明らかにされると物語の骨格も見えてくる。誤解や中傷、対立の渦巻くなか、それぞれ心の奥に深い傷を秘めた人物が織りなす人生模様。とりわけ、悲哀や苦悩を希望とともに受け容れ、賛美歌『主よわれとともに』の題名どおり神の恩寵を待つ牧師の姿には、心打たれるものがある。抑制が効きすぎて説明不足だったり、逆に色々なエピソードを盛りこみすぎたりしている点が気になるが、情感豊かな佳品であることは間違いない。英語は2級から準1級といった程度で読みやすい。
 …"Gilead" ほど緻密な構成ではないので、ますます陽の目を見そうにないが、洋書を読む楽しみの一つは、こういう埋もれた心温まる作品に出会うことだ。このところ英米のメディアが選んだ昨年の優秀作ばかり読んでいるが、要は「後追い」に過ぎない。あちらでもあまり脚光を浴びていないような積ん読の旧作に早くとりかかりたくなってきた。