ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

A.L.Kennedy の "Day"

 07年度のコスタ賞最優秀作品賞に輝いた A.L.Kennedy の "Day" を遅まきながら読んでみたが、これはかなりいい。http://costabookawards.com/press/press_release_detail.aspx?id=58

Day

Day

[☆☆☆☆] 第二次大戦中、ロンドンで咲いた青年兵士と人妻の恋の物語…というと陳腐なメロドラマに聞こえるが、どうしてなかなか内容の濃い力作である。一つには、複雑な語りの構造が効果的で、下手に書けば月並みになる心理が平凡に堕していない。主人公は爆撃機の元銃手。戦争の記憶がまだ生々しいころ、ドイツの捕虜収容所を舞台にした映画にエキストラ役で出演。戦時の回想と現在の心境が、内的独白や客観的な心理描写によって交互に綴られる。その回想も女との出会いと交際だけでなく、同じ爆撃機の乗組員や捕虜仲間との交流、殺意を抱くまでに高じた父親への反発など、現在の時間進行に応じてさまざまな過去にさかのぼる。ユーモアに富んだ会話が楽しい一方、連絡の途切れた女や亡き戦友への思いなど、次第に浮かびあがる心の傷が重みを増し、それぞれの場面に緊張感がある。この緊張関係を生みだすもの、それはやはり戦争という死と隣り合わせの状況であり、そういう極限状態におけるさまざまな感情を凝縮させて表現している点が実に見事だ。頻出する省略表現に加えて話法、視点の変化に冨み、英語の難易度はかなり高い。

 …候補作のすべてに目を通したわけではないので断定はできないが、本書の受賞はまず妥当なところではないかと思う。処女長編賞を取った Catherine O'Flynn の "What Was Lost" はもちろん、ぼくのお気に入り、Rupert Thomson の "Death of a Murderer" よりも優れている。06年の最優秀作品賞受賞作、Stef Penney の "The Tenderness of Wolves" と較べると派手さは少ないが、小説としての純度はこちらのほうが高い。昨年のブッカー賞の少なくともロングリストに載らなかったのが不思議なくらいだ。
 ぼくはこれを読みながら、さまざまな文学シーン、映画のシーンを思い出した。まず、防空壕で男と女が出会うのは今井正監督の『また逢う日まで』。邦画なので A.L.Kennedy はたぶん未見だろうけど、空襲下のロンドンでの出会いということならマーヴィン・ルロイ監督の『哀愁』が有名で、こちらはきっと観ているはずだ。それから、何と言っても『情事の終り』。同じ空襲下のロンドンの不倫劇で、グレアム・グリーンの本とこの "Day" を較べると、現代作家と昔の作家の違いが分かって面白い。他にも、『モスキート爆撃隊』や『大脱走』、『第十七捕虜収容所』など、本書と関連のある戦争映画はいくつもありそうだ。
 つまり、本書の舞台や人物関係は使い古されたものであり、作者がその点を念頭に置きながら執筆したことは想像に難くない。いわゆる「陳腐なメロドラマ」をどう料理するか、そこが小説家としての腕の見せどころであり、上に述べたような語りの構造と心理や感情の凝縮という点で、作者の試みはかなり成功していると思う。革袋は古いし酒も古い。が、その入れ方次第で新しい酒に感じられるわけだ。
 一読、グリーンとの相違は明らかだろう。『情事の終り』では周知のごとく、女は関係した男が空襲で死んだものと思いこみ、男が生き返るなら二度と会わないと神に誓う。そこから「無償の愛」、さらには神と信仰の問題へと発展していくわけであり、『情事の終り』が単なる不倫劇ではないことは言うまでもない。
 その点、本書はいろいろな工夫が施されているものの、本質的には「陳腐なメロドラマ」である。男が防空壕で出会って一目惚れした女は出征中の夫を待つ身。やがて二人は関係をもつが、男の乗った爆撃機は対空砲火を浴びて他の乗組員は全員死亡、男は捕虜となる…要はそんな話に過ぎない。
 同じ情事を扱っても、一方は愛と神、信仰の問題へと思索を深め、一方は現実の平面にとどまっている。新旧作家の違いを物語る端的な例であり、深みのない現代の作品はくだらないと主張する立場もあれば、本書のような技巧をそれなりに評価する見方もあるだろう。よろず principle のないぼくはいつも揺れ動き、作品によってしばしば態度を変えるが、本書の場合は「なかなか内容の濃い力作」というのが結論。「極限状態におけるさまざまな感情を凝縮させて表現している点」に引きこまれたからだ。とりわけ、不倫ながらプラトニックとも言える男の純情にほだされる。
 昨年11月8日の日記でぼくは、「人生のさまざまな問題にふれながら深く追求することのない多くの現代作家の作品を評価するとき、ただ突っこみが足りないという理由だけで星の数を減らしていいのか」と書いた。以来、その疑問がずっと気になっているが、「くだらないから星3つ以下」、「くだらないけど面白いから星4つ」といったあたりが一応、ぼくの評価基準かもしれない。本書はもちろん後者のほうだし、純化された愛情表現の数々は「くだらない」とも言えない。