ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

今年の全米批評家協会賞

 かなり旧聞に属するが、去る13日、今年の全米批評家協会賞(対象は昨年の作品)が発表され、Chimamanda Ngozi Adichie の "Americanah" [☆☆☆☆] が栄冠に輝いた。
 ぼくは去年の7月だったか、あちらの下馬評を参考に、同書がブッカー賞のロングリストにノミネートされるのではないかと期待して読み、もののみごとに空振り。しかしながら、賞レースとは関係なく、いい作品に出会えたことが純粋にうれしかった。
 その後、同賞のショートリストにのこった作品も何冊か読んでみたが、ぼくの評価ではどれも Adichie 作品より下。結局、受賞作にも興味がわかず、また、全米図書賞の最終候補作をながめても食指が動かなかった。
 そうこうするうちに、今年の全米批評家協会賞の最終候補作が発表。ぼくは "Americanah" 以外に、Ruth Ozeki の "A Tale for the Time Being" [☆☆☆★★★] も読んでいたが、両作のあいだには、★1つ以上の差があるかもしれない。今ふりかえると、後者の「一面的、図式的な人間観・歴史観」にはゲンナリさせられる。おなじ日系作家の作品なら、点数評価では同点だが、ぼくは Julie Otsuka の "The Buddha in the Attic" [☆☆☆★★★] のほうが好きだ。
 一方、"Americanah" はといえば、Adichie の旧作 "Half of a Yellow Sun" [☆☆☆☆★] には一歩譲るものの、人間のとらえ方という点で、さすが Adichie と感心させられるものがある。ほかの候補作は未読だが、全米批評家協会賞は今年も大いに満足できる受賞結果だったのではないか。以下、去年書いたレビューを再録しておこう。

[☆☆☆☆] なるほど、この手があったか、と感心した。アメリカにおける人種差別という文学的には古びたテーマを、みごとに現代的に処理しているからだ。オバマが黒人初のアメリカ大統領となった当時、ナイジェリアから渡米した若い女イフェメルがブログを開設し、日常生活で体験した差別や差別意識の現実をユーモアたっぷりに報告。そのブログ記事と前後して、もっぱら仕事や恋愛における彼女の悪戦苦闘ぶりも客観的に描かれる。こうした二重の叙述形式が「この手」なのだ。このいわば複眼によるイフェメルの観察の結果、単眼の場合以上に差別の実態がまざまざと浮かびあがっている。がしかし、本書のテーマは差別にとどまらない。男と別れブログも閉鎖、長い渡米生活をおえて帰国を決意したイフェメルは娘時代からの人生を回想。それがおわるとこんどは現在進行形の物語がはじまる。妥協を拒み、自分の意見をはっきり述べる女性がどんな試練に出会い、どのように成長していったか。その大きな流れのなかで差別の問題もとらえるべきだ。存在感あふれる各人物、微妙な心理、複雑な人間関係、情感のこもった一瞬の光景など、どの描写も的確ですばらしい。それゆえ終盤、意外に平凡なメロドラマとなっても気にならない。ナイジェリア版『女の一生』、ただし、まだまだつづく人生物語である。