ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Jenna Blum の "Those Who Save Us"

 アメリカで話題のベストセラー、Jenna Blum の "Those Who Save Us" を読んでみた。秀作である。

[☆☆☆★★★] 久しぶりにナチス物を読んだが、最初から作品世界に引きこまれ、読後のいま、心のなかに沈黙が流れている。個人の人生にのしかかる歴史と運命の重さに、つい言葉をうしなってしまう。党員ではないドイツの一般市民はナチスの体制、ユダヤ人、ホロコーストとどう向きあったのか。そして戦後、彼らは過去をどのように受けとめ生きてきたのか。この二点をテーマとして、戦時中のワイマールに住む若いアンナと、50年後、ミネソタ州の大学で教鞭をとるその娘トルーディの物語が交互に展開される。アンナは厳格な父の目を盗んで年上のユダヤ人医師に恋をし、医師の逮捕後、女児を出産。やがてSS将校に見そめられ情婦となる。一方、歴史学博士のトルーディは、ドイツ一般市民とユダヤ人の関係を調査すべく、ミネソタ州在住のドイツ系移民にインタビューを開始。個々のエピソードはすべて想定内で、ホロコーストにつきものの凄惨なシーンがあり、のどかなピクニックの一幕がある。手に汗握るサスペンス、胸をえぐられるような悲しさ。どれもパターンどおりだが、それがまったく鼻につかない。いやむしろ、現実に起こったかもしれぬ出来ごとの迫力、ひいては「歴史と運命の重さ」に圧倒され、とりわけアンナの胸中を思うと落涙しそうになり、電車のなかで困ってしまった。終幕でふたつの物語がひとつに結びつく構成も定石だが、小説として当然の処理であろう。

 …ハードカバーが出たのが2004年で、このペイパーバック版は2005年刊。それが昨年の10月に突然、ニューヨーク・タイムズのベストセラー・リスト入りを果たした経緯は分からないが、たしかに読みごたえは充分にある。今週こそリストから洩れてしまったものの、そのうちまた復活するかもしれない。
 ぼくは恥ずかしながら、『アンネの日記』も『シンドラーのリスト』も未読。理由は簡単で、中学生のときだったかアラン・レネの『夜と霧』を観てすっかり気持ちが悪くなり、フランクルの本も読んでさらに頭が痛くなり、スパイ小説や冒険小説を除けば、あとのまじめなナチス物、ホロコースト物はほとんど敬遠してきた。純文学に傾倒しはじめたこの8年間でも、手にとった本は数えるほどしかない。中でいちばん印象に残っているのは、ご存じ『朗読者』だろうか。逆に、最低最悪なのはノーマン・メイラーの "The Castle in the Forest"。http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20071111
 生理的な不快感は別にしても、ナチス物を読むには一種の覚悟が必要である。どんなに悲惨な事件が起こっても、「さもありなん」という「想定内感覚」がつきまとうため、よほど斬新な角度から取り組まれたものでないかぎり、小説として純粋に感動することがなかなか難しいからだ。その意味では、『朗読者』は相当に工夫されていたと思うし、この "Those Who Save Us" もかなりいい線を行っている。
 これまでにも、「党員ではないドイツの一般市民はナチスの体制、ユダヤ人、ホロコーストとどう向かい合ったのか。そして戦後、彼らは自分の過去をどのように受けとめてきたのか」という問題を採りあげた作品はいくつもありそうだが、上に書いた事情で読書体験の少ないぼくには、この問題を扱うこと自体が「斬新な角度」に思える。戦後、アメリカ兵と結婚してミネソタに移住した女が、SS将校を愛していたのかと夫に詰問されたり、クリスマスに幼い娘が、ドイツでプレゼントをくれたサンタに会いたいと駄々をこねたりする場面など、たまらなく切ない。そこには、「さもありなん」と割り切るだけではすまないものがある。それがつまり、「個人の人生にのしかかる歴史と運命の重さ」なのだ。
 SS将校はレコードでブラームスの第二交響曲を楽しんだあと、ユダヤ人を射殺した話を平気で口にする。長らくモントゥー盤を愛聴しているぼくには、たとえば第一楽章のロマンティックな主題など、およそホロコーストとは無縁のものとしか思えないのだが、"The Castle in the Forest" のレビューでも書いたように、ジョージ・スタイナーは『青ひげの城にて』の中で、ナチズムの狂気が正気の文化と共存したことを指摘している。そういう根本的な問題をうかがわせる場面も本書にはあり、情緒的な切り口にとどまらない深みを生んでいる。
 ともあれ、ドイツ人にもこれほど深い傷を負った人間がいる、という話も結局は「想定内」のことかもしれないが、運命がもたらす悲劇の前にはただもう沈黙するしかない。自己矛盾だが、今日はそう思いながら駄文を綴ってしまった。