ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Edward St.Aubyn の "Mother's Milk"

 前回は Charlotte Mendelson の "When We Were Bad" について書いたので、今日も家庭小説を採りあげることにした。

Mother's Milk

Mother's Milk

[☆☆☆★★★] 2006年度のブッカー賞レースで、けっこう下馬評が高かった作品。一口に言えば、ブラック気味のドメスティック・コメディーだろうか。題名どおり母親を中心に、戯画的なまでにデフォルメした人物を登場させ、親子や夫婦の悲喜劇を皮肉たっぷりに描くことで家族の肖像を浮き彫りにする、という作者の意図はかなり成功していると思う。評者は深い感動までは覚えなかったが、こういう風刺の効いた狂騒劇がお好みの読者もさぞかし多いことだろう。提出されている問題は、非常に深刻で現実的だ。育児騒動にはじまり、財産相続、親子の断絶、夫の浮気、夫婦の不和、親の介護など、およそ現代の家庭内で起こりうる危機が目白押し。崩壊寸前と言ってもよい。こうした現象自体は決して目新しいものではないが、本書では、その崩壊の危機をもたらしているのは母親である。むろん、母親に振りまわされる子供や、母親の立場を自覚した妻に翻弄される夫という要因も大きいのだが、その点も含めて母親が危機の張本人という設定が面白い。これであと、冒頭から登場する、異常に早熟な長男をもっと活躍させれば、家庭小説の新境地を開けたのではないか。英語の難易度は比較的高く、エネルギッシュで知的刺激に満ちた文章だと思う。

 …例によって昔のレビュー。ぼくは文学史などろくに勉強したことがないので、家庭小説の系譜がどうなっているのかよく分からないが、古くはオースティンの諸作に『若草物語』、現代の代表的な作家としてアン・タイラー。ざっとそんな読書体験から言うと、大河ドラマ的なファミリー・サーガは別にして、家庭小説とはおおむね「コップの中の嵐」を描いたもの、という偏見を持っている。家族の誰かが何らかのトラブルや精神的危機におちいり、すったもんだするが、結局は丸く収まる。配偶者の死や離婚など、いくらか悲劇的な要素はあっても、主な登場人物は花も嵐も踏みこえて気分一新、再スタートを切る。"When We Were Bad" もまさしくそんな小説だった。
 そういう定石からすれば、この "Mother's Milk" はかなり斬新な切り口を見せていると思う。最初、幼い子供なのに大人なみの知能を発揮する長男の話が続いたときは、てっきりSFかと思ったくらいで、やがてそれがお定まりのドタバタ騒ぎに紛れこんでしまったのは実に残念。騒ぎそのものは "When We Were Bad" と似たり寄ったりだが、同じコメディー調でも皮肉が効いているぶん、Edward St. Aubyn のほうが突っこみが鋭い。
 ただ、いくら「非常に深刻で現実的」な問題が提出されていると言っても、本質的には「コップの中の嵐」に過ぎない。だからどうした、と反論されればそれでおしまい。力作ではあるのだが、せっかくの新しいアイディアを活かしきれず、底の浅さをカバーするまでには至っていない。その辺が賞レースでキラン・デサイの後塵を拝した原因かもしれない。