ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Carlos Fuentes の “A Change of Skin”(1)

 Carlos Fuentes の "A Change of Skin" を読了。いやはや、フォークナーに劣らぬ難物だった。

A Change of Skin

A Change of Skin

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[☆☆☆☆★] 春の日曜日、ワーゲンに乗ってメキシコシティーから海辺のリゾート地へと向かう四人の男女。男のひとりは作家で、女は情熱的な彼の妻と、作家の若い愛人。それに、ふたりの女と関係する元ナチス協力者。一見、魅力的な設定だが、甘いメロドラマを期待するとひどい目にあう。まず、粗筋と人物関係が明らかになるまでとにかく長い。現在の事件進行に回想が混じるなか、車に同乗していないナレーターが登場、女たちをyouと呼ぶ。それゆえ地の文なのに直接話法のような効果が生まれ、そこに実際の会話が交錯する。その結果、展開も話法もさながら複雑なポリフォニーからなるフーガとなり、話がなかなか先へ進まない。そこをがまんして読んでいると、やがて上述の「魅力的な設定」が見えてくるという次第。少年時代から才能を発揮していた作家は、いまや創作力が衰え鬱屈している。妻は夫と出会い、ギリシャへふたりで旅をしたころの激しい愛の思い出が忘れられない。メキシコの歴史や現代生活などへの言及も多々見られるが、愛の断絶がテーマのひとつであることは間違いないだろう。一方、元ナチスの協力者はといえば、プラハ時代の甘美な恋物語や、強制収容所と戦争中の胸をえぐられるような体験が綴られ、そこに贖罪のテーマを読みとることもできる。とにかく話法も複雑なら、事件も時系列を無視して語られるという重層的な構造だ。しかし圧巻は、ナレーターが実際の人物として本格的に登場し、以上のエピソードを再構成してみせる終幕である。各人物の心の再検証をテーマに、現実と虚構がいり乱れたメタフィクションであり、猥雑な狂騒劇が繰りひろげられるマジック・リアリズムの真骨頂である。

 …今回も長いレビューになってしまった。これを書くだけでかなり疲れたので、おしゃべり編はまた後日にしよう。