今日はまず、昨日見た「武士の家計簿」の感想から。なるほどやっぱりな、と思ったのは、昔はお家芸を理屈ぬきに子供に教え、子供がそれを理不尽に感じても押しつけていたこと。そして子供もその理不尽によく耐えることで成長し、伝統を受け継いでいたこと。今でもたまにTVの職人や芸事の紹介番組などで見かける世界の話だが、親父の方針に逆らった結果、だらしない人間になってしまったぼくとしては内心忸怩たるものがある。うちのドラ息子やドラ娘にいたっては、そもそも親のほうに方針がなかったため、たとえば今ぼくが読んでいる洋書など、さらさら読んでくれそうな気配がない。かみさんもさっぱりだし、今のうちから本は処分するしかないね、と友人と話し合ったばかりだ。
さてこの "A Matter of Trust" だが、これは最近立て続けに読んでいる「見てくれのいい小説」、つまり魅力的なカバーの本の中でいちばん軽い読み物である。善玉と悪玉がハッキリ分かれすぎている、というのが最大の欠点で、ほかにもいくつか気になる点はあるが、昨日も書いたように、「重箱の隅をつつくのをやめ、要するに文芸エンタメ路線として割り切れば、流れに乗ってすいすい読める」。
そういう「三文小説」ばかり読んでいるからお前は駄目なんだ、という某先生のお叱りの声が聞こえてくるが、鬼籍に入ったべつの恩師は、どんな小説でもどこか読みどころがある、という趣旨の話をされていた。今やサラリーマン洋書オタクのぼくとしては、どちらかといえばその恩師の立場に近い。それゆえ昨日のレビューでも、「娘の恋した少年がレーサーを夢見て特訓に励むシーンなど思わず引きこまれる」と美点を挙げておいた次第。
あとひとつ、「三文小説」の効用はクイクイ読めること。おかげで、もっともっと読まなくちゃ、という元気さえ出てくる。すると、こんな本ばかり読んでいてはいかん、という某先生の立場に近づくわけだ。本の読み方を「理屈ぬきに(というわけでもなかったが)」学生「に教え」、学生「がそれを理不尽に感じても押しつけていた」その先生の授業がなつかしい。