ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

2012年全米図書賞最終候補作発表 (2012 National Book Award Finalists)

 今日も忙しく、"The Orphan Master's Son" はろくに進まなかった。そこで全米図書賞の最終候補作をならべてお茶を濁すことにしよう。
 5人の作家のうち、Junot Diaz と Louise Erdrich だけは旧作を読んだことがある。2007年の全米批評家協会賞に輝いた Diaz の "The Brief Wondrous Life of Oscar Wao" は有名ですな(http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20080227)。Erdrich の "The Painted Drum" は今でも読後の「いい感じ」を憶えている (http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20080208)。
 それから、"Billy Lynn's Long Halftime Walk" は米アマゾンの上半期ベスト10小説のひとつで、"The Yellow Birds" は "This Is How You Lose Her" とならんで同9月のベスト10、"The Round House" は今月のベスト10にそれぞれ選ばれている。"A Hologram for the King" だけはまったく知りませんでした。
 全米図書賞はなんとなく権威主義的な傾向があるのでは、と疑っているせいか、例年どうも相性がわるい。芸術的で、なおかつおもしろい作品が受賞するといいですね。

[☆☆☆★★] 男が女と出会って関係し、そして別れる。よくある話だが、これはアメリカに住むドミニカ移民の男の失恋遍歴集。ユーモアをまじえた軽妙で活発、テンポのいい文体にまず惹きつけられる。主人公が読者に語りかけたり、逆に主人公を2人称で呼んだりすることで、失恋につきものの感傷が適度に抑制され、さりげなく描かれる別れのつらさに鋭いえぐりがある。ほかにも、若死にした兄との陽気なバトル、常夏の国から出てきた当初のカルチャーショック、移民生活や人種差別の現実など、いろいろな話題がいろいろな恋愛といりまじり、同じ主人公の連作短編集といったおもむきだ。読み進むうちに、貧しい移民の少年が才能を認められ大学を卒業、作家活動のかたわら大学で教鞭をとる、という大きな人生の流れが見えてくる。いわばサクセス・ストーリーのはずなのに、ふりかえればほろ苦い思い出ばかり。それを軽くあっさり、おもしろおかしく綴った佳作である。なじみの薄い口語や俗語にくわえてスペイン語も頻出するが、文脈から推測できる場合も多いので鑑賞には困らない。(10月21日)[☆☆☆★★★] 「おれはだれだ」「わたしはなぜここにいるのか」― だれでも一度は駆られる疑問かもしれないが、本書はこの定番の問題をきわめて現代的、かつコミカルに扱った秀作である。昔は羽ぶりがよかったものの、いまや自己破産寸前の経営コンサルタント・アランが起死回生をかけ、サウジ国王にホログラムによる会議システムを採用してもらおうと、現地で建設中の大都市に乗りこむ。が、国王はいっこうに姿を見せず、プレゼンテーションも延期につぐ延期。そもそも都市建設そのものが進んでいない。このカフカ的状況が、こっけいなエピソードや爆笑もののジョークもまじえて描かれると同時に、アラン自身の失敗したビジネスや破綻した結婚生活、健康への不安、ひとり娘への思いなどがフラッシュバック。そこに孤独な現代人の実存の不安が浮かびあがる。この笑いとシリアスな問題の配合が絶妙で、ページをめくる手が止まらない。濡れ場もあって楽しんでいるうち、ふと流れてくる人生の悲哀にしんみり。虚無の深淵に頭をかかえこむ。人生は不条理で、かつ、おかしい。おかしいから不条理なのか、不条理だからおかしいのか。そんなラチもないことを考えてしまった。(13年2月22日)[☆☆☆★★★] コアにあるのは少年の通過儀礼だが、20世紀末に近い当時、ネイティブ・アメリカンが法律的にしいられていた差別の現実を踏まえたものだけに、通常の青春小説とは異なる重みがある。舞台はノースダコタ州の田舎町。居留地に住む少年ジョーの美しい母親が何者かにレイプされ、開巻からいきなり息づまるような緊張の連続だ。やがてジョーは友人たちともども事件の解明に乗りだし、さながら少年探偵団のようで楽しい。傷ついた母親をめぐる重苦しさと少年たちのドタバタぶり、ジョーの少年らしい正義感と、巨乳の叔母に示す性的関心といったコントラストがじつに絶妙。祖父が眠りながら物語る部族の伝説や、先住民の伝統的な生活風景、マジックリアリズム的な逸話も混じり、重層的な作品に仕上がっている。家族の愛、少年たちの友情、人間同士の信頼をそれぞれモチーフにしたエピソードが複雑にからみあっていくうちに、やがて厳然たる差別の現実が示され、ジョーは驚くべき通過儀礼の行動に走る。これが最大の山なのだが、その後、恋愛がからんで定番の青春小説らしくなりボルテージが下がったのが残念。英語は語彙的にはむずかしめだが緊密な美しい文章である。(11月4日)[☆☆☆☆] 膠着状態におちいったイラク戦争を背景に、戦争の大義の虚妄と、大義を信じたがる軽佻浮薄な一般国民、その偽善と大衆ヒステリーを痛烈に諷刺した反戦小説。彼の地でめざましい戦果をあげた青年兵ビリーたちブラボー分隊の面々が一時帰国、ブッシュ政権選挙対策に駆りだされ、全米の主要な都市を凱旋ツアー。その終点ダラスでおこなわれるアメフトの試合のハーフタイム・ショーに、なんとビヨンセたちともども出演することになる。女優が主役を演じる映画化の話ももちこまれるなど、終始一貫、ナンセンスなドタバタ劇の連続だが、ビリーたちを賞賛する人びとの声や、反テロ戦争の正義を訴える試合前のアジ演説などと平行してコミカルなエピソードが盛りこまれるうちに、上記の諷刺の意図が明らかになる。圧巻はやはりハーフタイム・ショー。ど派手な光と音の饗宴は本書における茶番の総決算であると同時に、イラク戦争アメリカ国民の大衆ヒステリーを象徴する壮大な狂騒劇となっている。口語や俗語を駆使した、すさまじいパワー全開の文体に圧倒され、ビリーとチアリーダーのお熱いシーンもあって大いに楽しめるし、ほろっとさせられる結末もいい。が、いささか気になる点もある。諷刺とは、鋭い批判精神と深い真実の洞察から成り立つものだが、本書の場合、戦争が「生と死の究極的な問題」であり、また「愚劣な死の大量生産」であるという認識が諷刺の根拠となっている。一面の真理ではあるが、たとえば、悪の座視は悪であるとか、正義と正義の衝突が戦争であるといった側面はえがかれない。〈正義病〉にかかったアメリカ人の幼児性も諷刺の対象となっているが、幼児の軽薄を嗤うためには大人の知恵を有していなければならない。が、ものごとのあらゆる面をとらえるのが大人の知恵ではないのか。ある一面を戯画化して笑いのめすのが諷刺である点を考慮しても、本書の諷刺は一面的に過ぎる。戦争を真剣に諷刺するには、人間がついに天使たりえない不完全な存在であるという洞察が必要である。そうした悲劇的な人間観が欠けているがゆえに、本書に心から感動することはできない。英語は日本の一般読者にはなじみの薄い俗語表現が頻出するが、いったん流れに乗ってしまえばけっこう読める。(11月14日)
The Yellow Birds: A Novel

The Yellow Birds: A Novel

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[☆☆☆★★] イラク戦争の最中、戦友を亡くした青年兵士の回想記。イラク北西部の街周辺でおこなわれた戦闘の模様と、訓練中から除隊後までの話が交互に進む。即物的に淡々と、あるいは相当な迫力をもって戦争の現実がえがかれる一方、時には意識の流れに近い技法を駆使しながら、青年兵の脳裏にうかぶ数々の思いが綴られる。砲弾が炸裂して死者が出る場面などリアルで息をのむばかりだが、基調にあるのは戦争の不条理や悲惨さで、あえて不謹慎な言い方をすれば〈想定内〉。死んだ戦友の母親と青年兵のやりとりも、痛切ではあるが定石どおり。帰国後、ふと戦場の記憶がよみがえり、亡き戦友への思いに胸をえぐられるところもまたしかり。つまり、これはイラク戦争が題材である点を除けば、どの場面をとっても従来の戦争小説とほとんど変わらない。それどころか、イラク戦争と聞いて思いうかぶイメージどおりの作品に仕上がっている。ただし、緊張感のある簡潔で、時に芸術的に入り組んだ文体は大いに評価したい。難語も散見されるが英語は総じて読みやすい。(11月8日)