ほんとうは、Ian McEwan の "Sweet Tooth" についてもっと書きたかったのだが、レビューを読みかえしてみるとネタバレ気味ですな。ヒロインは女スパイだが、ふつうのスパイ小説ではないし、彼女の単純な恋物語でもなく、「愛のスパイ小説、陰謀小説」としか言いようがない。さてその実態は?
今週は Zadie Smith の最新作、"NW" をボチボチ読んでいる。ニューヨーク・タイムズ紙、ガーディアン紙、タイム誌などが選んだ昨年のベスト作品だが、これ、けっこうむずかしい。4部構成のうち、とくに第1部が口語、俗語、破格のオンパレードで帰国子女向き。馴れるまで少々時間がかかってしまった。第2部からは、まあ標準英語に近くなる。
……と、ここまで書いたところでたまたまネットを検索したら、なんと全米批評家協会賞の最終候補作が発表されていた。この "NW" のほか、ぼくが選んだ去年のベスト5小説のうち、2冊もノミネートとはうれしいですねえ。以下、レビューを再録しておきます。
[☆☆☆☆] 膠着状態におちいった
イラク戦争を背景に、戦争の
大義の虚妄と、
大義を信じたがる軽佻浮薄な一般国民、その偽善と大衆ヒステリーを痛烈に諷刺した
反戦小説。彼の地でめざましい戦果をあげた青年兵ビリーたちブラボー
分隊の面々が一時帰国、
ブッシュ政権の
選挙対策に駆りだされ、全米の主要都市を凱旋ツアー。その終点ダラスでおこなわれるアメフトの試合のハーフタイム・ショーに、なんと
ビヨンセたちともども出演。女優が主役でブラボー
分隊の活躍を映画化する話ももちこまれるなど、終始一貫、ナンセンスなドタバタ劇の連続だが、ビリーたちを賞賛する人びとの声や、反テロ戦争の正義を訴える試合前のアジ演説などと平行してコミカルなエピソードが盛りこまれるうち、上記の諷刺の意図が明らかになる。圧巻はやはりハーフタイム・ショーだ。ド派手な光と音の饗宴は本書における茶番の総決算であると同時に、
イラク戦争と
アメリカ国民の大衆ヒステリーを象徴する壮大な狂騒劇となっている。口語や俗語を駆使した、すさまじいパワー全開の文体に圧倒され、ビリーと
チアリーダーのお熱いシーンもあって大いに楽しめる。思わずほろっとさせられる結末もいい。が、いささか気になる点もある。諷刺とは、鋭い批判精神と深い真実の洞察から成りたつものだが、本書の場合、諷刺の原点は、戦争が「生と死の究極的な問題」であり、また「愚劣な死の大量生産」であるという認識にある。たしかに一面の真理だが、たとえば、悪の座視は悪であるとか、正義と正義の衝突が戦争であるといった側面は描かれない。〈正義病〉にかかった
アメリカ人の幼児性も諷刺の対象となっているが、幼児の軽薄を嗤うためには大人の知恵を有していなければならない。が、ものごとのあらゆる面をとらえるのが大人の知恵ではないのか。ある一面を戯画化して笑いのめすのが諷刺である点を考慮しても、本書の諷刺は一面的に過ぎる。戦争を真剣に諷刺するためには、人間がついに天使たりえない不完全な存在であるという洞察が必要である。そうした悲劇的人間観が欠けているがゆえに、本書に心から感動することはできない。
[☆☆☆☆] かつては「地上の楽園」と信じる人びともいたが、秘密のベールにつつまれながらも今や
独裁国家であることが明らかな
北朝鮮。小説でも恐怖の現実がえがかれるのは当然だが、本書にはいくつか〈想定外〉のユニークな設定がある。まずこれが名画『
カサブランカ』の
本歌取りとなっている点だ。開巻、
工作員による日本人の拉致というショッキングな事件に絶句。脱北した漁民の美しい妻と
工作員のふれあいに情感がこもり、しんみりとなるが、驚いたことに第2部ではその
工作員が軍司令官となっている。その変身のいきさつが彼自身の行動記録、「司令官」を取り調べる尋問記録、そして「司令官」の物語を流す国営放送という3次元中継で次第に明らかにされる。この複雑な語りの構造と、第1部もふくめた彫りの深い人物造形がじつにみごとだ。また、国民的女優でもある「司令官」の妻が「これは夢なのか」と洩らすように、現実がフィクションと融合し、
マジックリアリズムの世界に近づいている点も見逃せない。
全体主義の体制では〈
不都合な真実〉は隠蔽され、真実の代わりにフィクションが真実となる。
全体主義の現実とは、まさに
マジックリアリズムの世界なのである。そのことを端的に物語る漫画チックな結末はケッサクというしかない。しかも、心臓バクバクものの緊張がピークに達した瞬間、
北朝鮮版『
カサブランカ』であることがわかる設定の妙。「秘密のベールにつつまれ」た国を舞台に、よくぞここまでフィクションを組み立てたものと大いに賞賛したい。難語も散見されるが英語は総じて読みやすい。
[☆☆☆★★] いまや多民族都市のロンドン北西部。そこの住人が交代で主役をつとめる輪舞形式の長編だが、実質的には長編というより、生活風景の短いスケッチ、人生の断片をまとめたもの。ジャマ
イカ系の女弁護士の出番がいちばん多いが、完全な主人公とは言えず、一貫したストーリーもほとんどない。テーマも当初つかみにくいが、筋書きも条理もあるかなきか、混沌として雑然とした世界こそ人生なのだとすれば、ここにえがかれている夫婦や親子、恋人、友人などの人間関係の断片、生活風景はまさに人生そのものである。どの人物もそれぞれ悩み、苦しみ、悲しみ、笑い、愛し、憎みながら生きている。その悲喜こもごも、愛憎からは、自分は何者なのか、人生に意味はあるのか、といった実存の問いも聞こえてくる。恋愛感情のもつれと不条理な殺人を扱った第2部に比較的まとまりがあり、女弁護士の半生を綴った第3部が「人生の断片」をもっとも鮮明に映しだしている。中には胸をえぐられる断片もあるが、組み立てる前のジグソーパズルのピースといったものも多く、読者によって好みが分かれるだろう。英語は口語、俗語、破格のオンパレードでむずかしめだが、すこぶる饒舌な文体に迫力があり引きこまれる。(1月17日)
[☆☆☆☆★] 従来の
ナチス物、
ホロコースト物の定型を打ち破った画期的な作品。そのゆえんは、ひとえに本書の叙述スタイルにある。1942年、
プラハで起きた
ゲシュタポの最高幹部ラインハルト・ハイドリヒの暗殺事件を扱ったものだが、作者は細部にわたって史実かどうかを検証。同時に、その結果を小説化していくプロセスをも検証し、虚構と現実を可能なかぎり峻別しながら、最終的にはノンフィクション・ノヴェルともいえる
歴史小説を完成させている。その過程はまさに歴史との対話、自作小説との対話であり、この2つの対話を通じて、上の暗殺が今そこにある事件として語られ、事件と平行して、小説が今そこで生まれつつある作品として書き進められる。この結果、序盤で事件のあらましが紹介されているにもかかわらず異様な迫真性とサスペンスが生まれ、また一方、各人物は文学作品のキャ
ラクターとしてではなく、当時はもちろん、現在も生きている人間として登場する。これはすなわち、実際には
ナチスの犠牲になった人びとへの尊崇の念を表明するものであり、この意味で本書は彼らに捧げた鎮魂歌にほかならない。読む者の魂をゆさぶる感動作である。フランス語からの英訳ということで、英語は標準的で読みやすい。(2月2日)