Maggie O'Farrell の "Hamnet"(2020)を読了。周知のとおり2020年の全米批評家協会賞ならびに女性小説賞の受賞作で、ニューヨーク・タイムズ紙が選んだ年間ベスト5小説のひとつでもある。さっそくレビューを書いておこう。
Hamnet: Winner of the Women's Prize for Fiction 2020 (English Edition)
- 作者:O'Farrell, Maggie
- 発売日: 2020/03/31
- メディア: Kindle版
[☆☆☆★★] 感動的な終幕だ。巻頭、シェイクスピアの夭折した息子ハムネットがハムレットに転じた可能性をうかがわせる引用があり、そこからある程度予測のつく結末ではあるが、それにしても泣かせる。亡き子を思う親の愛情がひしひしと伝わってくる。またシェイクスピアの生涯を知っていれば、幕切れの言葉にも深い意味が込められていることがわかり、なおさら感動が深まるものと思う。しかし疑問はのこる。『ハムレット』とは本来、本書が暗示するような親子の愛情劇、家庭悲劇だったのか。福田恆存によれば、「ハムレットの最大の魅力は、彼が自分の人生を激しく演戯しているということにある」。つまりハムレットには、本書のハムネット即ハムレットという設定ではカヴァーしきれぬ要素があまりにも多いのではないか。むろん、これはその前提一本に絞った作品であり、ハムネット誕生前後の「失われた年月」をはじめ、シェイクスピアが世に出る前の、確たる証拠の乏しい、いわば歴史の空白を埋める作業にも等しいフィクションである。この点だけ見れば、オファーレルは公文書の記録にのっとり作家としての想像力をフル稼働、シェイクスピアの父母や妻など、それなりに説得力のある家族の肖像を描きだしている。とりわけ妻アグネスの人物設定がみごと。アグネスは予知能力にたけ薬草療法の知識も豊富でありながら、わが子の命を救うことができなかった。その無念と悲嘆が全篇の基調になっている。アグネスは実質的に主人公といってもいい存在である。ハムネット自身の扱いもうまく、冒頭でその夭折を知らされた読者は、彼がいつ、どんなかたちで死ぬのかと想像することになる。そこへトリッキーな急展開。こんなひねりがないと単純すぎておもしろくない。このように本書は技巧的にはよく工夫された佳篇なのだが、コップのなかの嵐のようなホームドラマの場面が続出し、シェイクスピア自身もふくめて、いかにも小粒な人間ぞろいであるところが物足りない。上の前提に立ちつつ、原作のように「不安や苦痛のまえに受動的に沈黙することなく、それを乗り越える力の充実感を身につけて」(福田)読みおえられる作品であれば傑作たりえたのに、と愚考するものである。