ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Hermann Hesse の “Klingsor's Last Summer”

 実際に読んだのは去る8月だが、その後、メモを頼りに拾い読みした結果、なんとかレビューらしきものが書けそうな気がしてきた。がんばれや!(郷里の宇和島弁)
 ※ぼくが読んだペイパーバック版は表紙をアップできなかったので、別の版のものを掲示した。たぶん訳は同じでしょう。

Klingsor's Last Summer (English Edition)
[☆☆☆★★★] ヘッセ珠玉の中短編集。巻頭の短編『こどもごころ』では、中年男が少年時代のある事件を回想する。事件そのものはよくある話だが、さりげなく善悪の根元的問題が提示されている点がみごと。少年は成長とともに自分の心中にひそむ悪を自覚、事件を通じて「善から悪が生まれる」という人生の苦い真実をおぼろげながら認識・理解する。おとなになることの意味を端的に示した佳篇である。善悪の問題はつぎの中編『クラインとワグナー』へと引きつがれる。公金を横領して逃亡生活をつづけるクラインは、大作曲家をはじめ、ふたりのワーグナーを引きあいに出しながら内心の声に耳を傾け、表向きは善良な市民だった自分が実際は犯罪をおかす以前から悪党だったと自己批判。ひたすら内面検証に励んだ結果、究極の選択を行なう。そのかんのパワフルな文体に圧倒されるが、なにより興味ぶかいのはつぎの結論だ。「善悪を、正義と不正義を峻別するのは未熟な精神である。峻別された善悪、正義不正義はレッテルにすぎない。善悪の真実は善悪の彼岸にある」。上の少年の認識とあわせ、ヘッセの倫理観を代弁したものと思われる。こうした問題は表題作では影をひそめるが、自分という人間の本質を懸命につかもうとする自己探索の点では一致。死期の迫った画家クリングゾルは最後の夏、死を意識しながら陽気にふるまい、風光明媚なイタリアの田舎で精力的に絵を描きつづける。その光と影のコントラストが悲しいまでに美しい。圧巻は彼が猛烈な勢いで自画像に取り組む終章で、火花が散るほど異様な熱気に充ち満ちている。いかようにでも解釈できるというその絵は、彼の内面検証、自己探索を絵画的に物語るものだ。三編とも迫力のある文体で、原文もかくや、と思われるみごとな英訳である。