ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

L. P. Hartley の "The Go-Between" (2)

 どんな本でも読むのにちょうどいい年齢や時期、タイミングがある。この "The Go-Between"、ぼくは主人公の Leo 少年と同じ12歳の夏休みにぜひ読みたかった!
 きのうレビューを書きおえたあと裏表紙を見たら、Ian McEwan のこんなコメントが載っていた。I first read it in my early teens, and its atmosphere of yearning for lost time and of childish innocence challenged has haunted me ever since.
 うんうん、わかる、わかる。ラッキーだなあ、McEwan は。ぼく自身は中1の夏、何を読んだかさっぱり憶えていない。ただ1学期に図書委員になり、図書室にいることが多かった。たまたま、ある父兄が新潮社版世界文学全集を寄贈。ぼくもその整理を手伝わされた。あの黄色い表紙はほんとうに懐かしい。
 同じころ、亡父がどういうわけか、ぼくのために筑摩書房版世界文学全集を予約注文。それを本屋さんが毎月1巻ずつ届けてくれた。というわけで、あの夏休みはおそらく洋モノを読んでいたのでは、という気がする。しかし残念ながら、"The Go-Between" のように、そのころ読めばきっと衝撃を受けたにちがいない作品には出会わなかった。
 ただ、1学期に上の新潮社版で『青い麦肉体の悪魔』、筑摩版で『武器よさらば』、『嵐が丘』、『罪と罰』などを読んだときの衝撃は今でもはっきり憶えている。思えば、ぼくの文学の好みは、そのときすでに決まっていたようだ。
 いかん、Leo の回想談に触発され、つい思い出にふけってしまった。本題にもどろう。ぼくはパスしたが、本書にはまず、Colm Toibin による「序文」がある。版元の依頼とすれば、Toibin は好きな作家のひとりだけに、この人選はピンと来る。きっと読む価値のあるものだろう。
 次いで、Hartley 自身の「序文」(1962)も収録されている。ぼくはこれもパス。Toibin の場合と同じく、というか、どんな本でもぼくは「序文」「あとがき」のたぐいは原則的に読まない。読後、よほど疑問が生じた場合にだけ読むようにしている。これを唯我独尊という。
 それゆえ、ふたつの「序文」とぼくのレビューを読みくらべれば、ぼくがどれほどひどい勘違い、浅読みをしているか、よくわかることだろう。
 表紙や裏表紙の寸評、宣伝文句もろくに読まない。だから、上の McEwan のコメントの下にある紹介文を読んで初めて気がついた。これ、なんと映画化されているのですね。急遽ネットで調べると、ジョゼフ・ロージー監督作品『恋』(1971)。わりと評価は高いようだ。
 主演はジュリー・クリスティー、アラン・ベイツとのこと。ジュリー・クリスティーは、かの『ドクトル・ジバゴ』のラーラ役で有名。というのは知ったかぶりの紹介で、ああ、あの女優さんか、という程度の印象しかぼくには残っていない。
(写真は、宇和島市泰平寺の境内にある〈平和の鐘〉。昔はたしか、こんな鐘はなかったはず。ここに作られた土俵で町内相撲大会がもよおされ、ぼくは準決勝くらいまで勝ち進んだことがある。いい線まで行くが結局ダメという、その後の人生を物語るような昔話だ)