ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Mohsin Hamid の “Exit West”(3)

 本書はたしかに恋愛小説である。が、それより何より、街なかに突然出現したドアを通じて、アジアやアフリカなどから先進国へ瞬時に移動できる、という近未来のSF的な設定で移民問題を大々的に扱っている点がミソだろう。
 ぼくは最初、移民と先住民の激しい対立に驚き、まさにこれが現状なのかと勘違いしていたくらい。やがてロンドン市内を監視ドローンが飛びかい、虐殺の危機が迫るといったくだりで、やっぱりこれは近未来SFなのだと納得したものの、それにしてもリアルな描写だ。移民問題の行く着く先は、下手をすると、こういう恐るべき状況なんだろうなという気がする。もしかしたら、そこには「適切な解決策はないかのもしれない」。
 いわば八方ふさがりの中で、主人公 Saeed はこう祈る。he prayed fundamentally as a gesture of love for what had gone and would go and could be loved in no other way. When he prayed he touched his parents, who could not otherwise be touched, and he touched a feeling that we are all children who lose our parents, all of us, every man and woman and boy and gril, and we too will all be lost by those who come after us and love us, and this loss unites humanity, unites every human being, the temporary nature of our being-ness, and our shared sorrow, and out of this Saeed felt it might be possible, in the face of death, to believe in humanity's potential for building a better world, and so he prayed as a lament, as a consolation, and as a hope ....(pp.201-201)
 むろん、Saeed はこの祈りが移民問題の解決につながるものと信じているわけではない。また、この箇所を解決への糸口として作者がはっきり提示しているわけでもなさそうだ。
 が、それでも「愛する者との別れ、喪失の悲しみを共有することで絆が深まるという指摘は傾聴に値する」とぼくは思う。もし移民も先住民も等しくこのように祈り、「悲しみを共有」することができたら、たしかに少しは a better world が生まれるかもしれない。
 けれども言うまでもなく、それは「移民問題の抜本的な解決にはつながらない」。つまり、祈りはやはり、祈りでしかない。
 事実、何の光も見えないまま、本書は「うやむやな結末」を迎える。あとには深刻な事態が残っているだけ。よくもわるくも現実をそのまま反映したスッキリしない小説だ。
(写真は、宇和島市宇和津小学校のプール。手前の民家は昔は貧乏長屋で、亡き伯父の一家が住んでいた)