ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Lawrence Durrell の “Mountolive (Alexandria Quartet 3)”(3)

 前回ぼくは、四部作のうち本書だけが三人称となっている理由として、それまでの流れに「コペルニクス的転回」をもたらすため、という趣旨のことを書いた。この点についてもう少し補足しておこう。
 アレクサンドリア四重奏は構成が非常に複雑で、内容的にもすこぶる難解なものだが、ローレンス・ダレルによれば siblings だという最初の三作を乱暴に図式化すると、まずA男がB子と相思相愛(ただし不倫)の仲となる(第一巻)。しかしA男はC君の話を聞き、B子にダマされていたことを知る(第二巻)。
 と、それだけならA男の一人称による記述で十分だが、さらにD君が登場。A男とB子の関係が政治陰謀劇の一部という「恋愛とは別次元のもの」だったことを説明(第三巻)。これはやはりD君の目から客観的に、つまり三人称で記述するのが最適だろう。
 なんだかミもフタもない要約だが、これ、実人生でも多くの野郎どもが、いや女たちもかな、経験することではないでしょうか。自分がだれかと関係し、相手にダマされ、第三者が痴情のもつれの真相を知っている。
 以上はほんとうに単純なフローチャートで、実際のアレクサンドリア四重奏はむろん、これよりはるかに重層的で、かつ知的昂奮を呼び起こすものだ。詳細はレビューに書きました。とはいえ、名作をこんなふうに乱暴にまとめるとは何ごとか、といまは亡き某先生のお叱りの声が聞こえてきそう。
 なお、本書でもD・H・ロレンスへの言及があり(p.472)、もし若ければ「ふたりの Lawrence」とでも題した論文を書くべく研究してみたいところですな。
(写真は、愛媛県宇和島市三間町の田園風景。先月の帰省中に撮影。郷里のこんな景色を目にしたのは、たぶん高校時代以来だろう)

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