ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Patricia Lockwood の “No One Is Talking About This”(2)

 これは今年の女性小説賞最終候補作だけど、じつは女性小説賞というのにはあまり興味がない。もう十年以上も昔の記事で紹介したことだが、当時のガーディアン紙に載った女流作家 A. S. Byatt のコメントを読んで、わが意を得たりと思ったものだ。The British novelist [Byatt] has been vocal in her criticism of sexism in the literary world, and also hit out at the Orange prize, which is limited to only women novelists. "The Orange prize is a sexist prize," she said. "You couldn't find a prize for male writers. The Orange prize assumes there is a feminine subject matter – which I don't believe in. It's honourable to believe that – there are fine critics and writers who do – but I don't."
 オレンジ賞とは、いまの女性小説賞の旧名称。I don't believe in a feminine subject matter. という主張には異論もあるだろうが、少なくとも19世紀の大作家、Jane Austine や Emily Brontë などの諸作に feminine subject matter があるかないか、といった議論をするのはバカげているような気がする。恥ずかしながら英語ではどれも未読なので断定は避けるが、たとえば、かの名作 "Wuthering Heights" を現代の作品と仮定して女性小説賞の候補作に選ぶとしたら、そのナンセンスぶりがよくわかるのではないか。べつに選んでもいいけれど、女性が書いた小説という枠内に収めようとすること自体、おかしい。
 ちなみに、Byatt はいままで女性小説賞に(少なくとも最終候補作の段階で)ノミネートされたことはないようだ。「絶縁宣言」ゆえに干されているのかもしれない。
 閑話休題。いま最近の現地ファンの下馬評をチェックしてみると、"No One Is Talking About This" は相変わらず1番人気である。ただし集計方法によっては、Yaa Gyasi の "Transcendent Kingdom"(☆☆☆★★★)についで第2位。両書とも、今年のブッカー賞「ロングリスト候補作」としても取りざたされているが、そちらでは "Transcendent Kingdom" が第2位で、"No One ...." のほうは第11位。
 ぼくにいわせれば、そもそも本書が話題になること自体が理解できない(☆☆★★★)。No one is talking about this book. といいたいくらいだけど、実際には大評判になっている。タデ食う虫も好き好き、文学の守備範囲は非常に広い、ということだろう。
 これがどうにもぼくの口に合わないのは、なにより政治色が濃いからだ。むろん、巻頭にはこんな断り書きがある。This is a work of fiction. Names and characters are the product of the author's imagination and any resemblance to actual persons, living or dead, is entirely coincidental.
 前付の一部なので、ふつうこんなところは読まない。それなのになぜ読んだかというと、あまりに政治色が濃いので、ホンマかいな、と思ったからだ。ほかの作品はどうだろうと、適当にチェックしてみたところ、同様の断り書きがしるされた本も何冊かあったが、"Transcendent Kingdom" をはじめ、ないほうが多かった。
 ともあれ、「作者の想像の産物」というのはマユツバくさい。まず、実名が登場する場合もある。There was grant money set aside in Obamacare to do a complete exome sequencing of the baby's DNA, ....(p.131)この Obama って、どう考えてもあの Obama だろう。これは好意的な文脈だが、Ronald Reagan となると明らかにからかわれている(p.46)。
 実名が伏せられているのは、終始一貫 dictator と呼ばれる人物である。Politics! The trouble was that they had a dictator now, .... The problem was that the dictator was very funny, ....(p.4)Of course when the eclipse came, the dictator stared directly into it, as if that nature had no dominion over him either./ It was hard to know which forms of protest against the current regime were actually useful. The day after the election her husband had woken up with the strong urge to get a face tattoo. .... He settled finally on getting words STOP IT ....(p.24)NOT my America, a perfectly woman posted .... A month after the election, she had been banned from the portal ....(p.40) .... at least the dictator was stirring things up.(p.43).... not only had sex ended in America on November 8, 2016, but English, the language of conquerors that broke rock and built with it, had never been capable of sounding that way, ....(p.44)
 文脈不明の引用になってしまったが、原文もじつは断片の連続で、それほどはっきりした文脈があるわけではない。ともかく、ぼくは最初からこの dictator って、もしかしてあの人?と疑い、ついで、それがどうやら選挙によって選ばれたというのは奇異な話だなといぶかり、November 8, 2016という日付を見て、ああやっぱり、あの人のことだ、と確信した。
 以後もそんな色メガネで読んでみると、その証拠となるようなくだりが随所にある。それゆえ、作者の想像の産物というのは「マユツバくさい」どころか、ぼくのような読みかたを封じる、というか、「政治色が濃い」という批判を避けるための予防策ではないか、としか思えないのだ。
 その政治色とはずばり、リベラル左派の色である。それがいけない、というのではない。保守であれリベラルであれ、昔から多くの作家は自分の政治的主張を作品に反映させてきたものだし、読者のほうもそれを当然のことと受けとめている。
 ただ、本書の dictator が構築した一種のディストピアのモデルは、現実にはうたかたのごとく消えさってしまった。つまり、もはや古ネタ感がぬぐえないのである。
 いや、古ネタどころか、あの人が捲土重来を期しているのは明々白々で、だからこそ彼の dictator ぶりを紙上に記録しておく必要がある、という反論も出よう。いやいや、そもそも選挙で選ばれたリーダーを dictator と呼ぶのはおかしい、それは行き過ぎたポリティカル・コレクトネスではないか、という再反論もありそうだ。
 とこう書いてみると、それが要するに時事ネタにすぎないことが明らかになってくるだろう。文学とは人生の生き方と人間の本質を描いた言語芸術である、というぼくの固定観念からすれば、時事ネタというのは人間にかんする永遠の真理を導くものでないかぎり、作家は扱うべきではない。いや扱ってもいいが、少なくともぼくの口に合う作品には仕上がらない。
 じつはこの "No One Is Talking About This" でも、母親が子どもにそそぐ愛情という点では「永遠の真理」が描かれている。作者はどうしてそこをもっと深く掘り下げなかったのだろう。

(写真は、ぼくのふるさと愛媛県宇和島市の生家付近の民家。もう1年半ほど帰省していないし今年も無理そうなので、今月は田舎で長年撮りためた写真をせっせと整理。ペイント3Dを駆使して、日付や路上のゴミなどを削除する毎日だった。この民家はすでに取り壊され、駐車場になっている)

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